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神崎蘭子「大好きっ!!」 後編

2018/ 12/ 12
  • タグ:神崎蘭子 岡崎泰葉 藤原肇 アナスタシア(シンデレラガールズ) 高垣楓 鷹富士茄子 多田李衣菜 輿水幸子 渋谷凛

  •                  
    シンデレラガールズ 目次


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    中編

    296 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 18:05:25.36 ID:MZTRIGcDo


     【18歳 / 夏】


    べしゃっ。


     「あうっ」


    蘭子は随分と久しぶりに、馬事公苑の土の味を思い出した。
    情け無い声を零しながら舌を出す。
    目の前の黒馬はぶるると鼻を鳴らしつつ、その様子をじっと見下ろしていた。

     「な、何をするか、漆黒の戦馬よ」
     (何さー、ブーケ)

    ヘルメット帽を確かめながら立ち上がる蘭子の背に、抑えきれないような苦笑が聞こえた。
    気付いた蘭子が振り返れば、柵の傍には背筋の伸びた老婆が一人。

     「……見た?」

     「ええ。この目で、ちゃあんと」

    297 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 18:13:08.85 ID:MZTRIGcDo

    以前に特別企画で挑戦して以来、蘭子は時たま乗馬を嗜んでいた。
    その際に結ばれた師弟関係もそのまま続いている。
    老婆に呼ばれ、蘭子はブーケと呼ばれた黒馬を柵へ繋ぎ留める。

     「お勉強は捗っていますか、蘭子ちゃん?」

     「……うむ。だが、路は未だ険しく聳えている」
     (うん。でもやりたくない……)

     「なるほど。でも、上の空だった理由は、それだけじゃあありませんよね?」

     「……」

     「馬は、人をよく見ていますよ。忘れちゃったかしら」

    アーニャや凛たちが無事突破した大学入試。
    今年はもちろん蘭子や飛鳥たちの番だった。
    アイドルも一時休業し、こうした余暇の他は勉学に励んでいる。

     「楓さんがね」

     「楓?」

     「あ、先輩の……すごいアイドルで。その人が、もうすぐ居なくなっちゃうの」

    298 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 18:32:30.40 ID:MZTRIGcDo

    設立から五年あまり。
    既に十名足らずのアイドルがCGプロダクションを去って行った。
    ある者は悔しそうに、ある者は笑顔で、ある者は何かに気付いたように。

    しかし、その中でも。
    高垣楓の引退発表は、事務所内に大きな衝撃を与えた。

     「楓さんみたいになりたいって、思ってた。言えないけど、目標で」

     「ええ」

     「でも、居なくなるんだって分かって、だから」

    黙り込んだ蘭子の横で、ブーケも静かに遠くを見ていた。

     「先達は」
     (Jさんは)

     「何でしょう」

     「永久の存在を信ずるか」
     (ずっと続くものって、あると思う?)


    蝉の大合唱が、その勢いを少しだけ増す。


    299 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 18:45:44.40 ID:MZTRIGcDo

     「ええ。でもそれは、変わらないという意味とは違いますね」

     「……普遍にして不変など、在り得ないと?」
     (ずっとあるけど、変わるっていうこと?)

     「その通り。一つ、お勉強の時間にしましょうか」

     「え」

    嬉しそうに掌を合わせた老婆へ、蘭子が露骨に眉を曲げた。

     「虎は死して皮を残します。では、人は死して何を遺すでしょう?」

     「……えっと……名前、だっけ」

     「ぴんぽん。人は死して名を遺し――そして馬は、死してなお記録を残します」

    老婆がブーケの鼻面を愛おしそうに撫でる。
    ブーケが鼻を鳴らし、その大きな顔を老婆へ寄せた。


     「記録というのは成長の証。蘭子ちゃん、成長っていうのは、変わろうとする事なのよ」


    蘭子はそこでようやく、柵へ立て掛けられた白塗りの杖に気付いた。


    300 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 18:55:05.03 ID:MZTRIGcDo

     「その魔杖……」
     (その杖って)

     「ええ、私の物です。可愛いでしょう?」

    老婆が笑って杖を差し出す。
    握りには丸められた馬の頭が彫られていた。

     「この冬に、左腕を折りました」

     「……え?」

     「体力の限界でしょうね。もう、馬に乗る事も無いでしょう」


    馬も、合わせるのが大変でしょうし。なんて。


    ウィンクした老婆を前に、蘭子は口を開けたまま固まっていた。
    二の句を継げずにいる彼女へ、老婆は柔らかく微笑む。

     「私とて、変わります。蘭子ちゃんも、自分で気付けなくとも、変わっていますよ」

     「……」

     「会う度に背が伸びて、目が輝いて、とってもチャーミングになって」

                
    PICK UP!

    301 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 19:01:55.19 ID:MZTRIGcDo

    空を見上げ、老婆が眩しそうに目を細める。
    煩わしそうに笑っていた。

     「私は、馬に乗れなくなりました。けれど私は、今でも馬が大好きです」

     「……Jさん」

     「蘭子ちゃんは、アイドルを楽しんでいますか?」


    神崎蘭子は頷いた。


     「楽しいよ」

     「はいおしまい。これでお勉強へ集中できますね」

     「……古の魔女の狡猾さか」
     (……いじわる)

     「では、優しい優しいブーケに慰めてもらいましょう。ほら、お待ちかねですよ」

     「ブルッ!」

     「わ! 分かった、分かったから乗るってばぁっ!」

    302 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 19:15:15.08 ID:MZTRIGcDo

    ブーケを柵から放し、慣れた動作で跨がる。
    グローブを填め直し、しっかりと手綱の握りを確かめた。

     「そうそう。あちらに140のを用意しておきました」

     「えっ」

     「変わる事を恐れぬように。若さは、若者だけの特権ですからね」

     「……む、むむぅ」

    今までよりも少しだけ高く聳える障害を前に、蘭子が口元を曲げる。
    背後の老婆が鼻歌で絶対特権を主張していた。


     「――ええい、ままよっ! 神崎蘭子、推して参るっ!」
     (……もうっ! 神崎蘭子、行きますっ!)

     「ブルルルゥッ!」


    そして、勢い良く駆け出した。


    303 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 20:09:22.52 ID:MZTRIGcDo


     【18歳 / 秋】


     「コイバナ、しましょう」


    オリオンが輝いていた。
    毛布にくるまりながら宣言したアーニャへ、肇が首を傾げつつ訊ねる。

     「ええと……色恋のお話の、コイバナ……ですか?」

     「うん」

     「あ。ちょっと興味あるかも」

     「禁断の果実……」
     (コ、コイバナ……)

    岡崎泰葉が同調し、蘭子の頬に気の早い紅葉が散った。
    遠い目をしつつ、泰葉が何度も頷く。

     「今まで、あんまりそういう機会無くって……ちょっと憧れだったり」

    幼い頃より芸能界に身を置いていた泰葉。
    学校の行事になかなか顔を出せない時期もあった。
    内心、そういった事には憧れを抱いていたのだ。

    304 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 20:18:56.28 ID:MZTRIGcDo

     「コイバナ、楽しかったから。お泊まりと言えばコイバナです」

    夜の女子寮、肇と泰葉の部屋。
    泰葉所有のホームプラネタリウムを楽しみに来た蘭子とアーニャ。お休み中のグリフォン。
    室内天体観測会は、そのままお泊まり会へと雪崩れ込んだ。

     「アダムとイヴ……楽園の赤き掟……」
     (コイバナ……コイバナかぁ……)

     「ええと……私達、アイドルなのですが……大丈夫でしょうか」

     「大丈夫です、肇。みんなには内緒。ね?」

     「うんうん。じゃあ、早速私から……」

    少しだけぼやけた夜空の下。
    数々の星に見守られながら、四人の少女が毛布にくるまって顔を寄せ合う。
    中央で丸くなるグリフォンの耳が、時折思い出したように跳ねた。
    心持ち瞳の輝き出した泰葉が考え込み、そのまま黙り込む。

     「……えっと、ごめん。どういう風に始めればいいの?」

     「うーん……やはり、好きな人ですとか……好みのタイプだとか」

     「好きな人……うーん……まだ居ないなぁ」

     「ほう」

    305 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 20:34:54.75 ID:MZTRIGcDo

    泰葉が申し訳無さそうに笑う。
    肘を立て、足をバタつかせつつ、アーニャは楽しげに続けた。

     「じゃあ、泰葉は担当さんの事、好き?」

     「……えっと、アーニャちゃん。好きは好きだけど、そういう趣味じゃないから」

     「闊達ですが、可愛らしい人ですよね。雛祭りの時なんて……ふふ」

     「肇ちゃんまで……あのね、そういうのじゃないってば」

    どちらかと言えば成熟した質の三人が、年端も行かぬ少女のように笑う。
    蘭子は静かに何度も頷いていた。

     「じゃあ、好きなタイプか……そうだなぁ」

     「白馬の皇子か?」
     (カッコイイ人?)

     「うーん、どっちかって言うと、私のお仕事とかに理解のある人?」

     「あ、この前の……生涯現役、に関するお話でしょうか」

     「うん。ここまで来たらそれもいいかな、って」


    後に岡崎泰葉は芸能界で大暴れするのだが、ここでは割愛させて頂く。


    316 : >>305と>>306の間、抜けていた部分です : 2016/12/23(金) 21:58:43.36 ID:MZTRIGcDo

     「そういうアーニャちゃんはどうなの? タイプ」

     「私ですか? ンー……」

     「アーニャさんの場合だと、それこそ王子様くらいでは……」

     「うむ。遥か魔界にも雪華の美は伝え及んでいるわ」
     (パパとママも綺麗だって言ってたもんね!)

    少女と女性の境。
    スラヴビューティーと大和撫子の境界。
    今やアーニャはアンバランスな、危うい美の上を踊るアイドルとなっていた。

     「パパみたいな人が、いいな」

     「お父様?」

     「うん。えと……あ。プロデューサー、好きですね」


    蘭子の鼓動が停止した。


    306 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 20:45:02.94 ID:MZTRIGcDo

    しまった。

    泰葉と肇の表情が固まり、恐る恐る蘭子の表情を伺った。
    彼女の頬は夜にあって尚白く、口元は空気を求めるように開いては閉じる。

     「パパ、アーニャの事は何でも知ってました。プロデューサー、アイドルの事、何でも知ってます」

     「そ、そっか」

     「プロデューサーもパパも、猫を可愛がってました。猫に優しい人、女の子にも優しいから」

     「え、ええと……そうです、ね」

    アーニャの言葉に逐一頷きつつも、蘭子の瞳が徐々に潤んでいく。
    彼を褒め続けるアーニャを前に、肇と泰葉が目線だけを交わした。

     「とこっ、ろで肇ちゃんっ! 肇ちゃんは好きな人っているのかな?」

     「アー! 肇、担当さんの事、とってもとっても愛していますね?」

     「えっ」

    今度は肇が固まる番だった。
    ようやく正気を取り戻した蘭子が顔を上げれば、肇の頬は夜にあって尚赤い。

    307 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:01:01.05 ID:MZTRIGcDo

     「いえ、あの私は、別にそういうのじゃ」

     「隠さなくても、大丈夫。肇と二人きりの時、あの人、とっても優しい目をしてます」

     「……ほう」

    蘭子の目が輝きを取り戻し、泰葉はこれ幸いと沈黙を貫いた。
    女の子にとって、コイバナはこの上なき栄養源である。
    相葉夕美と凛が交わしていたそんな会話を、泰葉は密かに思い出していた。

     「っあ、違……私、私は、アイドルですから」

     「それに、すごく強そうです。必ず肇のこと、ずっと守ってくれます」

     「……」

     「好き?」

     「…………すき、です」

    ぼふん。

    肇が枕へ顔を埋め、頭から毛布を被る。
    完全防御態勢を構えた彼女は、毛布の中で小さく小さく唸っていた。

     「コイバナ、楽しいですね?」

     「……うん」

     「うむ!」

    308 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:25:27.56 ID:MZTRIGcDo

     「……蘭子ちゃんはどう?」

     「ククク……よくぞ訊いた。我が魂の伴侶、生半な器では足りぬ」
     (……えへへ。でも私、ひょっとしたら高望みかも)

     「蘭子は、どんな人が好き?」

     「うむ」

    枕を胸元に抱き寄せ、改めてしばし勘案する。
    シルクの靴下に包まれた足がぱたぱたと上下する度、グリフォンのヒゲが小さく揺れる。
    毛布の山にトンネルが開いて、赤らんだ耳だけが遠慮がちに覗いていた。

     「強い人?」

     「否。争いの世に生きて尚、戦いに飽くのは愚策ね」
     (ううん。強くなくたっていいよ)

     「なら……カッコイイ人とかかな」

     「否。徒に美を求める生は、いずれ美の泉に溺れよう」
     (ううん、カッコよくなくてもいい)


    今度は蘭子の頬に、鮮やかな紅葉が舞う。


    309 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:31:13.22 ID:MZTRIGcDo

     「瞳持つ者にして、深淵の理解者」
     (私の気持ちを、分かってくれて)

     「……」

     「共に美酒を打ち響かせ、円卓に鮮やかなる色を咲かせる者なれば」
     (いっしょに喜んで……いっしょに笑ってくれる人が、いいな)

     「……」

    毛布の山は崩れ、少々髪の乱れた肇が顔を出す。
    照れ笑いを零す蘭子。
    その肩を抱き寄せ、アーニャが厳かに宣言した。


     「蘭子は、私が貰います」

     「なっ」

     「じゃあ、次は私ね?」

     「ななな」

     「では……私も、その次に」

     「ななななななな……っ!?」

     「……ナー?」


    突如として始まったおしくらまんじゅう。
    その中心で蘭子は押され、か細く鳴くのだった。


    310 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:36:48.21 ID:MZTRIGcDo

     【19歳 / 春爛漫】


     「唄わないんですか?」

     「魔力を蓄えている最中ゆえ」
     (パワーをためてるの)

     「なるほど」


    昼下がりのお昼寝を始めて四日目。
    やって来た楓へ、蘭子は隣に置いたもう一つのクッションを勧めた。

     「お邪魔します」

     「存分に寛ぐが良い」
     (どうぞ)

    女子寮前の庭園、堂々たる一本桜。
    誇るかのように今年も咲きあふれた花弁が、木陰に華やかな絨毯を誂え始めている。
    横たわる蘭子と楓と、飛び回る小さな蝶だけが、特設の舞台を満喫していた。

    311 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:45:28.87 ID:MZTRIGcDo

     「春は、良いですね」

     「うむ。地が空が、滾らんばかりの魔力に満ちる」
     (うん。ぽかぽかあったかくて好き)

    蘭子は春が好きだった。
    蘭子は春が、夏が、秋が、冬が好きで、世界を愛していた。

     「お待たせしたようで、すみません」

     「気に病むでない。我が魂も風の囁きに従ったまで」
     (ううん。私が何となく、勝手にやった事だから)

     「飲みます?」

     「いいです」

     「良いお酒なんですけどね」

    抱えていた初桜の一升瓶を幹の根元へ立て掛けた。
    春だから、お幹ね。
    今日も楓は絶好調だった。

    314 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 21:55:32.28 ID:MZTRIGcDo

     「世紀末歌姫」
     (楓さん)

     「何でしょう」

     「アイドル、本当にやめちゃうの?」

     「はい」

     「……そっか」

    女子寮は今日も賑やかだった。
    誰かが間違えて掛けたアラームが鳴り響き、何かが落っこちたような物音が聞こえる。


     「卯月ちゃんに負けたから?」


    四月らしい風が吹く。
    緑の絨毯が揺れ、鮮やかな桜が散った。


    318 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 22:02:50.40 ID:MZTRIGcDo

     「私は、嬉しかったんです」

    真っ直ぐに天へ伸ばした掌にそっと、一片の桜色が舞い降りる。
    僅かな、風とも言えない風に煽られて、すぐに何処かへと飛び立っていった。

     「みんななら大丈夫だって、そう教わって」

     「だが、だが歌姫よ。そなたは今」
     (……でもっ! 楓さんは、こうして)

     「蘭子ちゃん」

    身を起こして詰め寄った蘭子に、楓は寝転がったまま微笑んだ。
    不思議な色の瞳に捕らえられて、蘭子は視線一つすら動かせなくなる。


     「私が視てきた世界を、知りたいですか?」


    蘭子の喉が鳴った。
    幹に背を預けた一升瓶が、からかうように煌めいている。


     「私は――」


    319 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 22:05:38.30 ID:MZTRIGcDo

     「だーめっ♪」

     「……へっ?」

     「お酒も秘密も、寝かせた方が美味しくなりますからね」

     「……」

    膨らむ前の頬をつっついて。
    膨らんだ頬をつっついて。
    しぼんだ後の頬もつっついた。
    ご満悦な楓の笑顔に、蘭子の身体が再び芝生の上へ沈む。

     「蘭子ちゃん」

     「……なに?」

     「唄わないんですか?」

     「……やだ」



     「大魔術の儀に備える為?」
     (パワーをためてるから?)

     「……秘めし言霊が力を持つ事もある」
     (……教えない)

     「ふふっ」


    楓がご機嫌な鼻歌を響かせ、雀たちが囀り出した。


    320 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 23:01:26.35 ID:MZTRIGcDo


     【19歳 / 晩秋】


     『混沌に――』

     『闇に――』



     『――飲まれよ!』



    会場が拍手に湧き、ダークイルミネイトが拳を掲げた。


    321 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 23:15:16.66 ID:MZTRIGcDo


     「――我が友よ! 今宵の魔力には震えるものがあったわ!」
     (飛鳥ちゃん、今日は特に気合いが入ってたねっ)

     「そうかい? キミの瞳にはそう映った訳か、興味深いね」


    ステージ衣装から普段着へ着替え、ようやく蘭子と飛鳥は人心地がついた。
    二人の攻めた普段着で他のアイドルが一息つけるかは疑問だが。

     「ああ、蘭子。明日は空いているかな」

     「うむ。我が友と同じく、全ての鎖から解き放たれん」
     (私も飛鳥ちゃんもオフでしょー)

     「それもそうか……なら、夕方が良い。夕陽は全てを赦してくれそうな気がするんだ」

     「逢魔ヶ時か。心得たわ」
     (分かった、夕方ねっ)

     「後でメールを送るよ。さぁ、翼を畳もうか」

     「お腹空いたー」

     「今日は鮭のちゃんちゃん焼きだったかな」

     「お魚の美味しい季節だね」


    特に関係の無い話だが、みくは少し前から一人暮らしを始めていた。


    322 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/23(金) 23:32:03.48 ID:MZTRIGcDo


     『夕陽が沈む頃、あの路地裏で』


    簡素な文面だった。
    今年も白くなりつつある吐息を零し、蘭子は夕暮れの街を歩く。
    そして辿り着く、いつかの日に二人で歩いた秘密の路地。
    冷たい壁に背を預けていた特徴的なシルエットが、ゆっくりとこちらを向いた。

     「やぁ、蘭子。わざわざ呼び立ててすまないね」

     「フフ……我が友の喚び声に応えぬ故など無いわ」
     (ううん、気にしないで)

     「少し、話がしたかっただけでね。我ながら難儀な性格さ」

     「暗幕を下ろせ、と?」
     (ヒミツの話?)

     「いや、そういう訳でもない。そうだな、単刀直入にいこうか」

     「時に友よ。その傷は……」
     (というか、もう片方のウィッグ……どうしたの?)

     「ああ。それも含めて、だ」

    ジャケットのボタンは胸元の分が飛び、襟足のウィッグは片翼になっていた。
    ポケットに両手を差し入れたまま、飛鳥が笑う。

     「ダークイルミネイトを解散したい」

    327 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 17:51:10.20 ID:ckQ0GSngo

     「いや、正確じゃないな。解散する、か。いずれにせよ、ボクの意思抜きにデュオは成立しない」

    淡々と告げる飛鳥の言葉を、蘭子はただじっと立ったまま聞いていた。
    小さな口が言葉を紡ごうとして、喉は震えるように黙ったままだ。

     「悪いとは思っているよ、蘭子。だが、もう決めた事だ」

    飛鳥は空を見上げる。


    寂れた路地だった。
    飲食店の室外機が唸り、反響する。
    時代遅れのネオン看板が光るには、まだ少しだけ早い。

    人並みが群れを成す東京も、一歩外れれば静寂に満ちた場が散らばっている。
    コンクリートで四角く切り取られた天は狭い。
    全てを赦してくれそうな夕陽はどこかへ歩き去っていた。


     「今日で、二宮飛鳥はアイドルを辞める。昨日がボク達のラストライブになるね」


    328 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 18:03:44.83 ID:ckQ0GSngo

     「…………分かった」

     「おや? これは予想外だったな……」

    蘭子は飛鳥を見つめたまま、はっきりと言った。
    薄く笑みを浮かべて、飛鳥がいつもより軽い襟足を撫でる。

     「てっきり、李衣菜のように」

     「ひどいよ」

     「……何がだい?」

     「どうして、言ってくれなかったの」

     「昨日が最後だと?」



     「……っ、分かってるなら――」 「――『もっと頑張ったのに』」



    蘭子が口を引き結ぶ。
    睨むような彼女の視線を、飛鳥は鼻で笑った。

     「蘭子。それは、ファンに……下僕に、あまりに失礼じゃないか?」

     「……」

     「いや、ボクは知っているさ。蘭子、キミはいつだって手を抜いたりはしないってね」

     「こんな言葉を知ってるかい。『留まりたくば、走れ。進みたくば、もっと走れ』」

    329 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 18:21:29.41 ID:ckQ0GSngo

    拳を硬く握り、脚が震える。
    顔が真っ赤に染まり、奥歯が軋んだ。

    神崎蘭子がこれ程の激情に震えるのは、生まれて初めての事だった。
    何かを言い返そうとして、どの言葉も鋭い毒矢となって彼女を射貫く。


    蘭子は自分が赦せなかった。


     「高垣楓は去った」

    笑みを剥がし、飛鳥が冬のような温度をもって呟く。

     「流れは止まらないだろうね。蘭子、キミだけじゃない。誰もが気付いたのさ」

     「……」

     「ボク達は、アイドルだ。そして、いつまでも夢見る少女じゃいられない」

     「……」

     「蘭子は、永遠なんてモノがあると思うかい?」

     「……ある」

     「へぇ。まさかとは思うが……そのコトバ、誰かからの借り物ではないだろうね」

    震えが止まらなかった。
    行く先々を鋼の壁に阻まれて、袋小路に追い詰められている。
    目の前に、路地へ立ち塞がるように生える飛鳥の姿が、とてつもなく恐ろしい魔物に見えた。

    330 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 18:30:35.55 ID:ckQ0GSngo

    凍りかけた血液が蘭子の身体を巡る。
    沸騰しそうになり、凍えそうになり、ふと世界が静かになった。

     「……一つだけ」

     「うん?」

     「一つだけ……教えてもらっても、いい?」

     「ああ。遠慮する事は無い」

     「飛鳥ちゃんは、何に気付いたの?」

    二人が見つめ合って、飛鳥の背後に座っていたネオン看板が灯る。
    調子外れの電飾が、ちかりちかりと明滅を繰り返す。


     「良い歌だった」


    331 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 18:52:32.07 ID:ckQ0GSngo

     「……え?」

     「楓さんのライブ。歌詞も何も無かったが、あれは。特に――」

     「ちょ、ちょっと飛鳥ちゃんっ!」


    『輝く世界の魔法』。
    高垣楓のラストライブ、ゲストとして参加した蘭子は盛大に失敗した。
    輿水幸子と共にズタズタの涙声を披露し、万雷の拍手を貰ってしまったのだ。

     「気付いたんだ」



     「……気付いた?」

     「ボクもまた永遠の存在では無い事に。いずれアイドルを引退し、いずれ死ぬ」

     「……」

     「だが、それではボクの矜恃が納得してくれなくてね。爪痕を残してやりたくなったのさ」

    ゆっくりと、飛鳥がポケットから右手を抜き出す。
    その先に、爪にもよく似た、ギターピックが挟まれていた。

    332 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 18:57:31.78 ID:ckQ0GSngo

     「蘭子。アイドルは楽しいだろう」

     「うん」

     「誰にも口外しないと誓えるかい」

     「当たり前でしょ」

     「ボクも、アイドルを心から楽しんでいた。いつまでもアイドルで在りかったんだ」

    室外機の裏に隠されていたギターケースを持ち上げる。
    左肩に背負った長方形を揺らし、飛鳥はいつものニヒルな笑みを浮かべた。

     「正直言って、李衣菜よりボクの方がとっくに巧くてね」

     「……無垢なる反抗者」
     (李衣菜ちゃん……)

     「ボクは、歌を創りたい」

    飛鳥の短い呟きに、蘭子が頷いた。
    オトナもセカイも関係無い、二人だけのホントウのコトバだった。


     「それがボクの気付いたモノだ。そして――何よりも、時間が惜しい」


    照明が続々と灯り出し、二人の影を夜から切り離していく。


    333 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 19:07:10.76 ID:ckQ0GSngo

     「……」

     「さぁ、ボクの手札は切り尽くした。もうアイドルじゃないから、顔を殴ったって構わないよ」

     「……」

     「これはボクの背負うべき罪と罰さ。蘭子、キミには裁く権利がある」

     「……」

     「ボクが泣き喚くまで殴るのもいい。拳を汚したくなければ、千の言葉で切り裂いて見せろ」

     「頑張って、飛鳥ちゃん。すっとずっと、応援してる」


    蘭子が笑みを浮かべる。
    悪趣味な原色に照らされた表情を前に、飛鳥は崩れ出しそうな顔を伏せた。


     「……蘭子、馬鹿なのかキミは。何も理解っちゃいない」

     「理解るよ」


    飛鳥の両手を握った。
    ポケットを出て彷徨っていた彼女の指に、暖かな熱が巡っていく。


     「飛鳥ちゃんの親友だもん」


    335 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 19:21:12.94 ID:ckQ0GSngo

     「……本当にっ、馬鹿だな。こんな自分勝手なヤツなんて、理屈抜きにぶん殴ればいいんだ」

     「自分勝手なんかじゃ、ないよ」

     「どうしてだ」

     「だって飛鳥ちゃん、謝らなかったもん」

    伏せた顔を間近で覗き込まれ、飛鳥は目を閉じた。
    震え出した身体を抑えようと、手近にあった温もりを捕まえてやった。

     「いやだとか思ったり、後悔してたら。飛鳥ちゃんなら。ごめんって、言うもん」

     「……」

     「飛鳥ちゃん、知ってる? 悪い子のフリってね、すっごく難しいんだよ?」

     「……ああ……ああ。覚えてっ……っ、おくっ、よ」


    それは情動で、発露で、慟哭だった。
    孤独に歩き出した彼女の、その存在を証明するように、蘭子は力強く抱き締める。


    夜の帳が落ちてきて、路地を、街を、幾万もの灯りが照らし始める。
    東京は今日も眠らない。


    336 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 19:27:28.10 ID:ckQ0GSngo


     【20歳 / 春】


     「お疲れ様です、蘭子ちゃん」

     「おお! 久しいわね、果てぬ荒野の先導者」
     (お久しぶりです! 最近見ませんでしたね?)

     「出張に行っていたもので。お元気そうで何よりです」


    無精髭も無ければ、スーツにも傷一つ無い。
    やや個性の薄くなった彼へ、トレーニングルームを出た蘭子は笑顔を向けた。

     「今宵の風向きは?」
     (レッスンの見学ですか?)

     「ああいえ、大した事ではないのですが、蘭子ちゃんに用がありまして」

     「……ほぇ?私?」

     「ええ。勝手ながら予定も空いていると伺ったので。方々にも連絡済みです」

    玄関前に待たせているタクシーを示して、彼も笑った。


     「飲みませんか?」


    339 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 20:18:16.74 ID:ckQ0GSngo

    ドアを開けば聞こえる、軽やかなグランドピアノ。
    椅子も埋まり賑わいを見せるが、決して騒がしくはない。

     「せっかくですし、カウンターへはどうでしょう」

     「そ、そなたに我が命運を託そう……」
     (お、お任せします……)

    案内されるままにピアノバーへ足を踏み入れた蘭子。
    どこか変ではないかとしきりに自身の格好を気にする彼女へ、彼が小さく笑った。
    実際の所、むしろ蘭子の服装は街中よりも溶け込むぐらいだったのだが。

     「いらっしゃいませ」

     「こんばんは」

     「失礼ながら、そちらの御嬢様は」

     「こちらが学生証です」

     「拝見します……確かに」

    返された学生証を握り、蘭子は安堵の息をつく。
    差し出されたおしぼりで手を拭いて、物珍しそうに周りを見渡した。

    341 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 20:27:52.37 ID:ckQ0GSngo

     「万華鏡の中に迷い込んだかのような……」
     (きらきらで、綺麗……)

     「お気に召したようで何よりです」

     「今日は”歌姫”さんの方は」

     「残念ながら」

     「そうでしたか」

     「……歌姫?」

     「ええ。たまにいらっしゃるのですが、残念ですね」

    じゃあ、私が唄おうかな。

    そう言おうかと一瞬だけ考えて、蘭子は笑う。
    最近はボーカルレッスンを増やしていたが、まだまだ完璧とは言えなかった。

     「何にしますか、蘭子ちゃん」

     「ふむ……」

     「お悩みでしたら、是非飲んで頂きたい一杯がありますが」

     「『シンデレラ』なら、前に飲んだよ」

     「おや」

    二代目シンデレラガールが鼻を鳴らす。
    降参したように頬を掻いて、柔らかく笑った。

     「やはり、彼に任せてよかった」

    342 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 20:35:51.95 ID:ckQ0GSngo


     「――お待たせしました。シルバー・ブレットです」

     「ほう、これが……」


    お酒と言えばカクテルだろう。
    幼少の頃から、蘭子の中にはそういったイメージが何となく出来上がっていた。

    見開き2ページに渡ってすらりと並んだ横文字。
    中でも一際蘭子の目を惹いたのはこの一杯だった。
    白に満たされたカクテルグラスを持ち上げ、顔の前へ掲げる。

     「それでは」

     「うむ」


     『――月は満ちた』
     (――乾杯)


    彼が軽く、蘭子が恐る恐るグラスを傾ける。
    少しだけ口に含むと、未知の香りが鼻を抜けていく。

     「……美味、ね」
     (おいしい……)

     「それは何より」


    銀の弾丸に撃ち抜かれ、魔王は笑顔を浮かべた。


    343 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 20:47:35.92 ID:ckQ0GSngo

     「調子は、どうですか?」

    ピアノの調べが二人の間を満たす。
    グラスをちびちびと舐めながら、蘭子は頭を巡らせる。

     「大いなる歓喜、幾許かの寂寞、計り知れぬ苦悩……一言には、表せぬ」
     (楽しくて、寂しくて、よく分からなくて……ちょっと、迷ってる)

     「それは、最近の事務所についてでしょうか」

     「うん」


    果たして飛鳥の予言が外れる事は無かった。
    高垣楓の背を見てか、はたまた時の流れに囁かれてか。
    一人、また一人と顔馴染みは去って行った。
    蘭子たち古参アイドルの内、既に半数以上が別の道を歩んでいる。

     「6年半、ですか」

     「む?」

     「あの日、蘭子ちゃんはまだ、ぴかぴかの中学生でしたね」

     「……然り。この身は穢れも悦びも知らぬ、無力な少女に過ぎなかったわ」
     (うん。あの頃は弱くて泣き虫で、何にも知らない子供でした)

     「あの子が今や、こんな立派に成長を遂げました」

    干したグラスを置き、幾多の感情を籠めて呟いた。


     「時間とは――容赦の無い、偉大な魔法使いです」


    ショパンの夜想曲は続く。


    344 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 21:34:19.30 ID:ckQ0GSngo

     「すみません、ラフロイグの水割りを。蘭子ちゃんは……」

     「……闇夜の口付けを」
     (キス・イン・ザ・ダーク……)

     「かしこまりました」

     「さては、速水さんに教わりましたね?」

     「……だめ?」

     「まさか。お祝いの席です、お好きなように」

    壮年のバーマンが軽快にシェイカーを鳴らす。
    間近で行われるパフォーマンスに、蘭子は目を釘付けにしていた。

     「実を言うとここには皆さんを連れて来ているんです」

     「みんな?」

     「私が声を掛けさせて頂いた方々を。蘭子ちゃんと飲める日を、心待ちにしていました」

    正面のボトルキーパー。その天井近くを指差し、釣られて上を向く。
    ひっそりと飾られた色紙に、見慣れた名前が並んでいた。


     「闇夜の口付けと――我らが城へ、魔王の名を戴く許しを」
     (キス・イン・ザ・ダークです――よろしければ神崎様も、是非)


    魔王軍の僕たるバーマンは、茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせた。


    345 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 21:39:45.66 ID:ckQ0GSngo


     「いえ。ウォッカを顔色一つ変えず、次々と」

     「高貴なる血の成せる業か……」
     (やっぱりアーニャちゃんはすごいなー)


    積もる話は尽きる事が無かった。
    舞台を去ったアイドルを、今も踊るスターを、未だ見ぬ灰被りを。
    どこか無邪気な二人の間で、それは楽しそうに会話が弾む。

     「蘭子ちゃん。蘭子ちゃんは、秘密を守れますか?」

     「造作も無い……深紅の瞳を」
     (うん。レッドアイをお願いします)

     「ここだけの話です。私は……本当に自慢になりませんが、何十人もスカウトしてきました」

     「聞き及んでいるわ」
     (そうみたいですね)

     「中でも、最も才能を感じたのが、神崎蘭子さん。貴女でした」

     「ほう?」

    だいぶ気分の大きくなってきた蘭子が、不敵な笑みを浮かべてみせる。

     「約束の女神よりもか?」
     (茄子さんより?)

    346 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 21:47:57.11 ID:ckQ0GSngo

     「ええ。ですから、ここだけの話と」

    彼が薬指のリングを撫でる。
    鷹富士茄子もまた舞台を去り、新たな道を手に入れた一人だった。

     「内緒ですよ、蘭子ちゃん」

     「ふむ……さて、悪魔の言葉は気まぐれ故」
     (ふふ……どうしよっかなー)

     「可愛い女の子と飲んでいたなんてバレたら、ただでさえ茄子が頬を膨らませるんですから」

     「でも、そんな顔も可愛いんでしょ?」

     「…………まぁ」

     「下僕よ。我が手に血も凍る苦杯を」
     (すみません、強めのをください)

     「すぐに」

    薬指を叩き、彼が咳払いを繰り返す。
    達磨らしく色付いてきた頬も叩き、カサブランカを空にした。

     「話を戻しましょう。蘭子ちゃんも、色々と悩む事があるかとは思います」

     「……うむ」

     「悩む事は、悪い事ではありません。特に、貴女のような若きには」

    蘭子の脳裏で、白塗りの杖がこつこつと鳴った。

    347 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 21:55:08.98 ID:ckQ0GSngo

     「大丈夫です、蘭子ちゃん。自分で思う以上に、貴女は強い」

     「……」

     「今夜、確信しました。蘭子ちゃんの瞳はあの頃のまま……いえ、むしろ」

     「……こぉ」

     「…………蘭子ちゃん?」

     「くぅ」

    オークの滑らかなカウンターに腕を預け、蘭子は寝息を立てていた。
    ご機嫌な、実に良い表情を浮かべている。
    きっと、それは良い夢を視ているのだろう。そう感じさせる笑顔だった。

     「……ええと、何をお出ししたので?」

     「いえ、ボウモアのストレートを」

     「……フード、すっかり頼み忘れていましたね」

    カウンターの上には空になったナッツの小皿が二つ。
    彼は頬を掻いて、安らかに眠りこける蘭子へジャケットを掛けた。

     「熊本の方は強いと聞いていましたが……勉強不足ですね」

     「お代も勉強致します。サインの方、礼を伝えておいて頂けますか」

     「ええ」

    タクシーを呼ぶ為、彼は景気よくヒビ割れた携帯電話を取り出した。

    348 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 22:06:43.21 ID:ckQ0GSngo


     「――ただいま」

     「くぅ……」

     「あ、お帰りなさ~……Pさん、私というものがありながらっ」

     「いや、茄子。誤解だから」


    時計の針が中天を指そうとする頃。
    蘭子をお姫様抱っこしたまま帰宅した彼を前に、口元を手で覆う。
    茄子は――旧姓、鷹富士茄子は――おどけるように舌を出した。

     「なーんて、冗談ですよ。豪華なお土産ですねー」

     「先に寝ていてよかったのに」

     「何だか良い事起こりそうな気がして、わくわくしてたんです♪」

    手招かれるまま、蘭子の身柄を茄子へ引き渡す。
    わーとかほーだとか零しながら、茄子は安らかな蘭子の寝顔へ頬ずりした。

     「ずっと前から、一度抱き枕にしたいと思ってたんですよー。ありがとうございます!」

     「いや、あの、別にそういう訳じゃ」

     「うむ……んん……? 約束の女神……?」
     (……茄子、さん?)

     「さぁさぁ蘭子ちゃん。お疲れのようですし、まずは一緒にお風呂に入りましょうか♪」

     「…………ん……む?」

    349 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 22:11:11.98 ID:ckQ0GSngo

    茄子がくるくるとご機嫌に回りながら脱衣所へ入り、扉を閉める。
    直後に聞こえて来たあられもない声に耳を塞いで、彼はその前を通り過ぎた。

     「……幸せって、何なんだろう」

    寝室に入り、彼の分のシーツを新しい物に敷き替える。
    押し入れからタオルケットを取り出すと、居間に鎮座するソファの上へ放り投げた。
    ジャケットを脱ぎ、タイを緩め、疲労と一緒に身体を沈め込む。
    くぐもった水音と共に、微かな嬌声が居間へと響く。



     『――あら。あらあら……蘭子ちゃんたら、こんなに育って……目が離せませんね』

     『ひゃぁっ!? っあ、ダメぇっ! 茄子さんのえっちっ!』

     『ふっふっふー♪ よいではないか、よいでは――』



     「…………」

    彼は頭までタオルケットを被り、ソファの上で幸せについて滔々と考え出すのだった。

    350 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 22:15:33.76 ID:ckQ0GSngo


     【21歳 / 夏】


     「あり? 蘭子ちゃん?」

     「無垢なる反抗者か」
     (あれ、李衣菜ちゃん)

     「オレも居るぞ。待たせた」


    呼び出された会議室へ入る。
    中には李衣菜が座っていて、彼女の担当も蘭子の後から顔を出した。
    促されるまま蘭子は李衣菜の隣へ座り、彼が鞄からMP3プレイヤーを取り出す。

     「狂乱の祭典か」
     (イベントですか?)

     「いや、新曲だよ」

     「……って事は、蘭子ちゃんとデュオで?」

     「いいや。二人にそれぞれ、一曲ずつ」

    彼がプレイヤーをもう一つ取り出して、蘭子と李衣菜は顔を見合わせた。

    351 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 22:21:50.78 ID:ckQ0GSngo

     「調べを確かめても?」
     (聴いていい?)

     「もちろん」

     「やたっ。新曲新曲~♪」

    李衣菜が首に提げたヘッドホンを、蘭子がポケットから取り出したイヤホンを繋ぐ。
    再生ボタンを押すと、数瞬を置いて激しいギターソロが始まった。


     「……」

    まだ歌は入っていない。
    ベースが増え、ドラムが加わる。キーボードが響き、身体がリズムを取り始める。
    三分間が再びのギターソロで締め括られ、蘭子は李衣菜とほぼ同時にイヤホンを外した。

     「待ちくたびれたよ」

     「うん」

     「……流石。一発で分かったか」

     「我が友の魂を感じた」
     (飛鳥ちゃんですよね)

     「ああ」

    352 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 22:32:39.30 ID:ckQ0GSngo

    楽譜と歌詞カードを手渡される。
    『REpresent』と題された横、作詞作曲欄に並んだ名前。
    二宮飛鳥の存在証明を受け取り、蘭子は目元を拭った。

     「ようやく渡せて、オレも泣きそうだよ。長かった」

     「……どういう事? Pさん」

     「飛鳥がいきなり事務所へデモを送り付けて来たんだ。一年ちょっと前に」

     「……む?」

     「飛鳥に電話したよ。『次回の作品をお待ちしております』、って」

    鞄へ手を突っ込み、何枚かのCDを取り出す。
    机の上に積み上げると、結局鞄と同じくらいの山になった。

     「月イチで、たまにもう一枚。手紙も何も添えずに、CDだけが事務所に届くんだ」

     「……それが、我が友の言霊であろう」
     (飛鳥ちゃん、けっこう恥ずかしがりな所があるから)

     「そんなに下手っぴだったんですか?」

     「いや、最初の一枚だって中々悪くなかった。でも、それじゃあダメなんだ」

     「何ゆえ?」
     (どうして?)

     「李衣菜も蘭子ちゃんも、一流のアイドルだ。まぁまぁの仕事をさせる訳にはいかない」

    354 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:11:43.81 ID:ckQ0GSngo

    CDを丁寧に鞄へ戻しながら、彼が笑う。

     「契約書へサインする時の表情を見せてやりたかったよ」

     「そりゃ一年もリテイクさせたらねぇ」

     「『何て面倒なクライアントだ』って眉を潜めてたなぁ。嬉しそうに」


    飛鳥はクライアントという言葉を使ってみたくて堪らなかったのだ。


     「ああ、それと飛鳥から伝言。『ボクの曲を演るからには――』」

     「――全霊を以て!」 「――全開で!」
     (――全力で!)


    蘭子と李衣菜が口を揃え、不敵に笑う。


     「……『――理解ってるならいい』。以上、確かに伝えたからな」


    彼もまた、不敵に笑いながら泣き出した。


    355 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:19:14.59 ID:ckQ0GSngo


     「結構さ、酷い事言っちゃったんだよね。飛鳥ちゃんに」


    李衣菜に誘われ、蘭子は久しぶりに女子寮への道をゆっくりと歩く。
    美波と共に入った洋食屋も、高森藍子に付き合った小さなカフェも。
    いつの間にか姿を消し、見覚えの無い店が賑やかに営業していた。

     「取っ組み合いになって……って、私が一方的に掴みかかったんだけど」

     「……傷つきし翼の如く?」
     (ウィッグ引っ張ったり?)

     「う。蘭子ちゃんも知ってたか……はぁ」

    罰が悪そうに溜息をつき、李衣菜は天を仰ぐ。
    背中で揺れるギターケースへ、茶色のつむじがこつりと当たった。

     「あー……ホント、馬鹿だったな。私。自分の事ばっか考えてた」

     「……李衣菜ちゃん」

     「でもさ。あの曲を聴いて、ようやく私も分かった気がする」

    天を仰いでいた視線を、行く先へまっすぐに向け直す。

     「飛鳥ちゃんも、私に勝ちたかったんだ」


    悪友。
    李衣菜と飛鳥は、お互いを指してそう呼び合っていた。


    356 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:24:20.53 ID:ckQ0GSngo

     「飛鳥ちゃんなら多分、そっちにも言ってるでしょ。『進みたければもっと走れ』、って」

     「……クロノスに容赦は無いわ」
     (時間が無いって、この事だったんだね)

     「にしたって、ちょっと説明が足りな過ぎだよ……永遠の中二病め」

     「その決闘、受けて立とう」
     (それは聞き逃せないよ)

     「……な、何でもないよ?」

     「……ふむ。風の精霊も悪戯に過ぎるようね」
     (うーん、聞き間違いかな)

    李衣菜が心なしか歩調を僅かに早め、鼻歌を口ずさむ。
    それは見事な『Jet to the Future』だった。

     「……よーし、何かやる気出てきたっ! うっひょー! やーるぞーっ!」

    そしてそのまま走り去っていく。
    ますます磨きの掛かったその歌唱力で、今度は新曲を口ずさみながら。

    揺れる両手とギターケースを見送って、蘭子は再び薔薇飾りのイヤホンを取り出した。


    軽快なギターソロが響き出す。


    358 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:29:47.54 ID:ckQ0GSngo


     【21歳 / 冬】



     「――蘭子。星を観に行かない?」



    望遠鏡のケースを抱えて微笑むアーニャへ、蘭子は頷いた。


    359 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:40:48.63 ID:ckQ0GSngo


     「絶零の吐息……」
     (寒ーい……)

     「頑張ってね、グリフォン」

     「ミャ」


    二月は一年の中でも特に寒く、そして大気も澄んでいた。
    女子寮の屋上へ天体望遠鏡を据え付け、厚手の布を下に敷く。
    水筒から注いだ紅茶を飲みつつ、瞬く星をそっと眺める。

     「お引っ越しの準備、進んでる?」

     「うむ。しかし、エントロピーの増大には抗い辛く……」
     (うん。でも荷物がいっぱいで……)

     「フフッ、それは熱力学でしょ」

    去年の暮れ、アーニャは一足早く一人暮らしを始めていた。
    二人同時に引き払えば慌ただしくなる故の配慮だ。

     「綺麗だね」

     「うん」

     「ニャン」

     「さぁ、火星はどれでしょう」

     「今夜は見えないよ」

     「……残念。大正解」

     「へへー。星もロシア語も勉強したもんね」

    360 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:45:13.80 ID:ckQ0GSngo

    珍しく静かな夜だった。
    凍て付く風は凪ぎ、女子寮はいつもの喧噪を忘れたように眠りこけている。
    ただ二人と一匹の会話だけが、冷たい静寂を震わせていた。

     「アーニャちゃん」

     「ん」

     「やめるんだね」

    アーニャが紅茶をもう一杯注ぎ、ゆっくりと飲む。
    勧められるまま、蘭子もゆっくりと飲んだ。



     「……どうして、分かったの?」

     「神秘の歌姫も、世界の創り手も、寸分違わぬ道化であった故」
     (楓さんも飛鳥ちゃんも、そんな風に笑ってたから)

     「そっか。蘭子には敵わないなぁ」

     「審判の刻は?」
     (いつ?)

     「春。ラストライブに来てくれると嬉しいな」

     「この期に及び、更なる問答を欲するか?」
     (断られたって行くよ)

     「あははっ。スパシーバ、蘭子」

     「パジャールスタ、雪華の姫君」
     (どういたしまして、アーニャちゃん)

    361 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:50:38.17 ID:ckQ0GSngo

    蘭子の胸元からグリフォンが飛び出して、アーニャの元へ駆け寄った。
    撫でるような声で鳴き、コートに包まれた彼女の腕をかりかりと引っ掻く。

     「ダメだよ、グリフォン。アーニャちゃんは、もう決めたの」

     「ナー!」

     「魔獣よ。我が命に背く気か」
     (ワガママは、ダメっ)

     「蘭子、いいの」

    アーニャがグリフォンを持ち上げ、間近で顔を寄せ合った。
    肉球で彼女の頬をてしてしと叩いて、やがてその勢いも止まる。
    碧色の円らな瞳で、目の前の青い瞳をじっと見つめていた。

     「お願いがあるの。あなたの友人としてのお願いよ」

     「ミ」

     「これからも、蘭子の事を守ってあげて」

     「……」

     「私のお願い、聞いてくれる?」

     「――ニャッ」

     「……ありがとう。やっぱりグリフォンは、格好良いね」

     「ナーオ」

    アーニャがグリフォンを抱き寄せた。
    彼女の体温を受け取って、グリフォンが蘭子の胸元へと帰って来る。
    彼は小さな、けれども頼れる、堕天使の守護獣だった。

    362 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/24(土) 23:57:39.93 ID:ckQ0GSngo

     「признаваться」

     「……え? プリズナヴァーツァ……って、何だっけ」

     「フフッ。お勉強不足、だね」

     「む、むぅ……」

     「признаватьсяは、告白。ちょっと意味合いは違うけど、プロポーズの事」

     「ほう」

     「私ね、さっきプロデューサーに告白して来たの」

     「ほう――ほう?」

    アーニャが望遠鏡を覗き込みながら言う。
    70倍の大きさで、三日月が綺麗に輝いていた。



     「…………っふぇぅっ!?」

     「それで、フラれちゃった」



    アーニャが月を背負って、柔らかく微笑む。
    星も霞むような、それはそれは美しい笑顔だった。


    363 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 00:02:18.50 ID:WZRWBcW7o

     「へぅっ!? アーニャ……ちゃニャ、ニャっ!?」

     「ニャー」

     「……フフッ。知ってる限りの日本語で愛を囁いてね」

     「……! ……っ!」

     「でも、ダメだった。あ、安心して? これがやめる理由じゃないから」

     「……ならばっ、何故っ!」

     「飛鳥のくれた曲、凄かった。それで、私も気付いちゃったんだ」

    百面相を続ける蘭子の顔面へグリフォンを押し付ける。
    早速の出番にやや不服そうな表情を返したグリフォンは、それでも黙っていた。
    蘭子が数度深呼吸をし、少しだけ咽せ、平静の心拍を取り戻す。

     「凛に怒られたの。好きなら好きだって、そう言えって」

     「……アーニャちゃん」

     「言って良かった。凛にもお礼を言わなくちゃ、ね」

    アーニャの手が鏡筒を撫でる。
    冬風に晒された表面はとびきり冷たかった。


     「私、先生になりたい」


    アーニャが天を仰ぐ。
    ロシアや北海道よりも暗い空を、それでも眩しそうに見つめた。


    364 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 00:07:55.08 ID:WZRWBcW7o

     「導きし者……」
     (先生……)

     「蘭子とグリフォンに教わったんだよ。名前も言葉も、とっても大切なんだって」

     「……Анастасия」
     (……アナスタシア)

     「ニャー」

     「да. 二人の気持ち、ちゃんと伝わってるよ」

     「アーニャちゃんは、何の先生になるの?」

     「まだ分からない。でも、日本とロシアのこと、みんなにも伝えてみたい」

     「星は輝こう。それが姫君の漕ぎ出す先なれば」
     (出来るよ。だって、アーニャちゃんだもん)



     「……Спосибо!」

     「Пожалуйстаっ!」

     「ニャー!」



    大切な大切な言葉は、星空の下で輝いて。


    365 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 00:15:35.66 ID:WZRWBcW7o

     「……うー、さむい。戻ろっか、アーニャちゃん」

     「蘭子」

     「む?」

     「フラれた後、プロデューサーに訊いたよ。好きな人、居るかどうか」

     「……」

    屋上を後にしようとした蘭子を、アーニャが背中から呼び止める。
    蘭子がゆっくりと振り向いて、その頬は紅潮していた。
    今宵は――凍て付くように冷える。


     「……彼の者は、何と?」
     (……それで?)

     「シクリエト。絶対ぜったい、蘭子には秘密」


    蘭子が朱の差した頬を膨らませる。
    リンゴみたいだ。アーニャはそう思った。

     「……いじわる」

     「私だって今日ぐらいは、少しいじけたいの」

    366 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 00:24:04.79 ID:WZRWBcW7o

    蘭子がアーニャのほっぺたを引っ張って、アーニャも蘭子の頬を引っ張り返した。
    しばらくの間、お互いのリンゴを捏ね回してから、耐えきれなくなったように笑う。



     「ねぇ、蘭子」

     「なに? アーニャちゃん」

     「頑張ってね。応援してる」



    重なり合った二人の影を、月と星だけが見ていた。


    374 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 17:25:13.25 ID:WZRWBcW7o


     【22歳 / 初夏】


     「お待ち」

     「御苦労」
     (ううん)


    助手席に座りシートベルトを締める。
    グリフォンの待つ家を目指し、新調されたばかりの社用車が走り出す。

    以前は交代で座っていたこの席に、もう譲り合う相手は居ない。
    ――後ろで二人仲良く座ればいいんじゃないか?
    そう零す唐変木へ共に溜息を返した友は、新たな道を歩み出していた。

     「……」

     「……」

    基本的に、ボーカルレッスンの後で彼から話し掛ける事は少ない。
    アイドルのトレーニングはハードなのだ。
    だがここ最近の沈黙は、そうした基本のスタンスからも少々外れていた。


     「寂しい?」


    375 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 17:33:35.60 ID:WZRWBcW7o

    蘭子が頷く。

     「魔王とて、孤高に咽ぶ夜もあろう」
     (寂しいよ)

     「そうか」

     「だがこれは誇るべき爪痕。英雄譚に振り返る頁など無いわ」
     (それに、嬉しい。みんなが頑張ってる証拠だから)

     「そうだな」

    マンションの前でサイドブレーキを引く。
    とっぷりも陽の暮れた頃。魔獣も夢中にて勇猛に戦っているに違い無い。

     「着いたよ」

     「……」

     「蘭子ちゃん」

    未だ扉の開かれぬ車内。
    闇に紛れるようにして、細い手が差し出されていた。
    その手を握り、二人して黙り込む。

     「俺は、最後まで蘭子ちゃんの隣に居るよ」

    376 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 17:49:09.75 ID:WZRWBcW7o

    蘭子が満足そうに小さく頷く。
    それから悪戯に、ひどく美しい笑みを浮かべた。

     「瞳持つ者よ」
     (プロデューサー)

     「ああ」

     「深淵を覗き、尚先を進む覚悟があるか」
     (私の気持ち、ちゃんと伝わってる?)

     「そうじゃなきゃ、ここには居ないさ」

     「うそ。ねぇプロデューサー。寂しいからじゃ、ないよ?」

    繋いだ手を揺らす。温もりが伝わる。
    このままだと魔王に負けてしまうかも知れない。
    ふとよぎった予感に囁かれ、彼は慌てたようにその手を離した。

     「……」

     「……♪」

    気まずそうな顔の横に、ご機嫌な表情が並ぶ。

     「下僕よ」
     (プロデューサー)

     「……ああ」

     「闇夜を照らし、切り裂け」
     (ドライブ、連れて行ってくれる?)

    魔獣には、もう暫しの間だけ戦ってもらおう。

    377 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 17:57:48.92 ID:WZRWBcW7o


     「歌姫の創世せし光景を、我が瞳にも焼き付けんとした」
     (楓さんの見た世界を、私も視てみたかったの)


    靖国通りを安全運転で流す。
    クラクションを鳴らされないギリギリの速度だった。

     「だが、それではつまらぬ。我が魂は、いつの世にもフロンティアを求めていた」
     (でもそれじゃあダメなんだ。私は、楓さんも視られなかった景色を視てみたい)

     「うん」

     「十二の鐘を、針が再び打ち鳴らす刻まで」
     (あと二年)

     「……」

     「我が魔力は歌姫の幻影を討ち斃し――そして永久と消えよう」
     (楓さんを超えてから、引退します)

     「そうか」


    時は偉大な魔術師だ。
    少女の無垢を女の決意へ、いとも容易く変えてしまう。


    ハンドルを握る魔法使いは、少しだけ悔しそうな顔をして、それから笑った。


    378 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 18:10:02.08 ID:WZRWBcW7o

     「まじめな話おーしまいっ。プロデューサーの好きな人のお話でもしよ?」

     「却下」

     「無礼者」
     (けち)

     「この歳でも……いやこんな歳だから恥ずかしいんだよ」

     「ふーん」

     「なら……そうだな。蘭子ちゃんの話でもしようか」



     「……」

     「……」

     「蘭子ちゃんてな、すぐそういう風に赤くなるんだ」

     「……もうよい」

     「そっか」

     「充分よ」


    鋼鉄の幌馬車が、夜を切り裂いていく。


    379 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 18:18:08.88 ID:WZRWBcW7o


     【24歳 / 春】



    それは、満天の星にも負けていなかった。



    アリーナを満たす光の波。
    珠の汗を流す蘭子は、ただその光景を見据えている。

    次が最後の一曲だった。
    アイドル神崎蘭子の、最後の曲だった。

    魔王の爪痕を久遠の後世に残す為。
    シンデレラに願いを掛けようと。


    徹夜で考えた、最高にカッコイイ口上を述べようとした瞬間、ステージの照明が落ちる。


    380 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 18:32:47.56 ID:WZRWBcW7o


     『――闇は我らの味方! 下僕共よ、狼狽えるな!』
     (大丈夫ですっ! もうちょっとだけ、待っていてくださいっ!)


    不意の事態に慌てる蘭子ではない。マイクも生きている。
    事故を防ぐ為、観客達へはっきりと、よく通る声で注意を呼び掛ける。
    十年という歳月は、非力な少女を一流のアイドルへ変えていた。



     『我が声に――』

     『――ある熊本に、それは恐ろしくて可愛らしい魔王がいました……こんな感じ?』



    凛とした声が流れ、背後のオーロラビジョンが輝き出した。


    381 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 18:37:11.28 ID:WZRWBcW7o


     「……え? えっ?」

     『ビェルゼヴール……余りにも強過ぎた魔王を前に、人は彼女ただ一度の敗北を語り継ぎます』


    蘭子の困惑を高性能のマイクが拾い上げ、会場へ送り届ける。
    雪のように透き通った、けれど暖かな声が重なった。

    オーロラビジョンが映像を映し出す。
    緑色の海の中で、五人のアイドル達が踊っていた。
    幾度となく観た――もとい観させられたものだと気付き、魔王は慌てて手を振った。


     『み、みんなっ! 観ちゃダメーーっ!』


    それは魔法の歌だった。
    誰も彼もを笑顔へ変えるその歌は、二人の少女に届かない。


    ――輝く世界の魔法。
    あの頃の輿水幸子と神崎蘭子が、スクリーンの中で泣いていた。


    382 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:01:19.48 ID:WZRWBcW7o


     『しかし今宵、彼女は雪辱の機を手にするのです……フフン、粋な計らいじゃないですか!』


    宇宙一カワイイ声が大音量で響く。
    ざわめく観客と慌てふためく蘭子の耳へ、ひときわ懐かしい声が聞こえてきた。



     『さぁ。今夜こそ皆さんへ、素敵な魔法を掛けまほう――』



    ありったけの照明が灯った。
    あまりの眩しさに誰もが目を細め、驚きに見開く。


    ステージの上。
    蘭子の前に、煌びやかな四つの姿があった。


    383 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:10:41.52 ID:WZRWBcW7o


     『全く、感謝してくださいよ? 大人気アイドルを脇役に使える贅沢さに!』

     『Привет、蘭子。綺麗な星空だね』

     『ほら、泣かないの。リベンジ、するんでしょ?』

     『……掛けまショーの方が、良かったかしら』


    輿水幸子。
    アナスタシア。
    渋谷凛。
    高垣楓。


    五年ぶりに揃った顔が、蘭子の前で微笑む。


     『……みんな』


    受け取った笑みに向けて、蘭子が口を開いた。



     『衣装……似合うねっ!』

     『…………そこ?』



    凛のツッコミに、アリーナ中が湧いた。


    384 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:15:16.18 ID:WZRWBcW7o


     『さぁさぁ! ボクもスケジュールが押してるんです! ちゃっちゃと済ませますよ!』

     『幸子、いっぱい練習してたよね』

     『それは秘密だってあれ程言っといたでしょうアーニャさん!!!!!』

     『まぁまぁ。それよりホントに始めようよ。衣装着るの、けっこう恥ずかしいんだから』

     『蘭子ちゃん。蘭子ちゃんなら、ぶっつけ本番くらい平気ですよね?』

     『……ククク。我が魔力にかかればその程度、造作も無い』
     (……えへへ。もちろんっ!)


    前奏が流れ出す。
    蘭子を中心に、五人が静かに位置へ着いた。
    高貴なる紫の波は、いつの間にか純白の海へと変わっている。


    385 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:21:40.64 ID:WZRWBcW7o


     『――輝く世界の魔法』


    それは魔法の歌だった。


     『私を好きになぁれ』


    それは笑顔の、夢の、太陽の、星の歌で、解けない魔法だった。
    この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
    無垢なる願いの前に、偉大なる魔術師は立ちはだかる。
    そんな奴など知った事かと、五人は声を響かせた。


     『ほら、笑顔になりたい人』


    今までに唄った数々の中でも、蘭子はこの曲が一番好きだった。
    何故ならシンデレラは、いつだって魔法使いに憧れているのだから。



     『いっせーの、唱えてみよう――――』



    386 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:31:31.10 ID:WZRWBcW7o


    余韻が響く事は無かった。
    万雷のような拍手が轟いて、全ての音をかき消してしまったから。


     「……」


    肩で息を繰り返し、蘭子が振り返る。
    三人は微笑んでいて、幸子は今宵も泣いていた。

    アーニャと凛に頷かれて、楓が一歩前へ出る。
    差し出された手を、蘭子の手が強く強く握り返した。


     「……やっぱり、楓さんはズルいよ」

     「母は強し、です」

     「……あはは」

     「む。腕を上げましたね、蘭子ちゃん」


    今宵、蘭子が飛び越してみせた歌声。
    しかしあの頃と全く遜色無い歌声に、蘭子は観念したように苦笑を零す。

    十二時のシンデレラに、二児の母は力強く笑い返した。

    387 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:45:20.49 ID:WZRWBcW7o


     【24歳 / 鐘の後】



     「友よ」
     (Pさん)

     「ん」

     「我が魂と共に、久遠の契りを交わせ」
     (結婚して)



    打鍵音、電話のコール、笑い声、コピー機の唸り声。
    今日も今日とてCGプロダクションは騒がしい。
    蘭子が彼へ結婚指輪を差し出すと、事務所内が静寂に包まれた。


     「……」

     「……」


    電話のコールが鳴り響き、誰も受話器を上げようとしない。
    差し出された指輪を前に、彼は呆けたように口を開ける。
    蘭子は徐々に震え出し、その頬が染まり出し、その瞳が潤み出した。

    388 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 20:57:40.66 ID:WZRWBcW7o

     「先輩何やってんすか早く応えて!」

     「……え、あ、その」

     「どんな理由だろうと女を泣かしちゃあいけねぇよ」

     「こういうの……普通、逆じゃ」

     「――皆さん、お静かに。プロデューサーさん、男を見せてください」


    千川ちひろがにこやかに微笑んだ。
    彼へと視線を向けて、まっすぐに蘭子へと向いたその横顔に跳ね返される。
    ちひろは満足げに頷いて、無粋極まりない電話を黙らせた。


     「蘭子」


    オフィスチェアを退けて、彼が床に片膝を着く。
    差し出された小箱を恭しく胸に抱くと、シルクの手袋越しにキスを見舞った。



     「我が魂、そなたと共に」
     (愛しています。喜んで)



    飛びついてきた蘭子を抱き止める。
    拍手と口笛、そして怒濤のやっかみと千の冷やかしを、彼は甘んじて受け入れた。


    389 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 21:47:26.96 ID:WZRWBcW7o

     「はいはい。皆さん仕事が山積みでしょう? あなたもですよ、プロデューサーさん」

    ちひろが数度手を叩き、同僚達がニヤけた表情を浮かべながら散っていく。
    抱き着いて離れない蘭子の肩越しに、彼が苦笑いを返した。

     「急遽、営業が必要になりまして」

     「……はっ?」

     「大口の契約、一件獲って来てください。蘭子ちゃん、サボらないか見張っててね」

     「我に任せよっ!」
     (うんっ!)

     「え? は、大口?」

     「ほら、そろそろ十二時ですよ。時間は待ってはくれないんですから」

     「往くぞ我が友……ううん、我が伴侶っ!!」
     (早く、はやくっ!)

     「ちょ、わ、鞄っ……」

     「いってらっしゃーい」


    二人は転げ落ちるかのように階段を駆け下りる。
    ガラスの靴も粉々に砕けそうな勢いだった。


    390 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:00:22.13 ID:WZRWBcW7o


    真昼の街中は喧噪に満ちていた。
    ごく普通のフェミニンスタイルに身を包んだ蘭子へ、気付いたファンが手を振ってくれる。
    下ろした銀髪を靡かせて、蘭子も笑顔で手を振り返す。


    蘭子のラストライブから、引退から一ヶ月。
    この一ヶ月、蘭子はどう想いを告げようかずっとずっと唸っていたのだ。
    そして最終手段として、蘭子は実家へ電話を掛けた。

    母は自らの体験談を包み隠さず教えてくれた。
    蘭子は感謝の意を伝え、微かに聞こえる父の嗚咽へ聞こえないフリを貫き、電話を切った。
    男は、辛い。


     「営業って……手ぶらで?」

     「ふむ。まだ魔術式を解さぬか。何たる愚鈍」
     (え、Pさんったら、まだ分からないの?)

     「え?」

     「我が身を請ける栄誉。これ以上の契りが世にあると?」
     (契約者は、私っ)

    蘭子が身を寄せ、指を絡ませ合う。

    391 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:07:38.30 ID:WZRWBcW7o

     「……どうすれば、契約を結んでもらえる?」

     「ククク……そなたの全霊力を以て、我が底無しの興を満たせっ!」
     (まずデート。それから……デートっ!)

     「……ははは」


    絡んだ指を、彼はそっと離した。
    ポケットから箱を取り出して、小さな方を彼女の薬指へ填める。


    契約は結ばれた。
    彼もこれで、なかなか仕事の出来る男だった。


     「仰せのままに、我が魔王」

     「うむっ!」



    現世にその名を轟かせた魔王は、堕天使のように微笑んだ。



    392 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:20:35.72 ID:WZRWBcW7o


     【24歳 / 大安吉日】


    端的に言って、アイドルの結婚披露宴は面白い。


    と言うのも、アイドルの知人は当然ながらアイドルが多い。
    そういったメンバーが集まるものだから、自然と余興も凝った物になるのだ。


     『――以上、新郎のお父様よりご挨拶を頂きました。ありがとうございました』


    和装に身を包んだ茄子が司会席に立ち、丁寧に頭を下げる。
    元お天気キャスターとして恥じない、流れるような、見事な進行だった。
    それに何より、彼女が居るだけで、何だか無性にめでたいような気分になる。


    茄子はこうした席に年中引っ張りダコ――本人に言わせれば、引っ張りカコだった。


    393 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:38:43.51 ID:WZRWBcW7o


     「…………えへへ」

     「……ほら、蘭子。もうちょっとだけしっかり」

     「あっ、うん…………えへへっ……」


    蘭子は放っておくと緩み出す顔を必死で引き締めていた。
    小声で囁く彼の顔も、口調とは裏腹に柔らかい笑みを浮かべている。


    今宵の蘭子はひときわ美しかった。
    漆黒のドレスに身を包み、所々には赤薔薇のコサージュがあしらわれている。
    その色に口を挟む者は居ない。


    蘭子は白銀の、紫紺の、深紅の、群青の、新緑の。
    ――そして何より、漆黒の似合う女性へと育っていた。


     「……」

    新郎の隣に蘭子が座り、そして蘭子の隣にはグリフォンが座っていた。
    入念に整えた毛並みへ結んだのは深紅の蝶ネクタイ。
    テーブルの上に行儀良く、静かに香箱座りをしている。

    その姿に口を挟む者は居ない。
    彼の眼差しは実直さにあふれ、何より彼は蘭子を守る騎士なのだから。

    394 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:47:19.00 ID:WZRWBcW7o


     『それでは続いて、新婦のご友人からご挨拶を頂いちゃいましょう♪』


    楽しげな茄子の言葉に、場の雰囲気が一変する。
    それまでの和やかながらも厳かだった空気は緩み、囁きが零れ出す。
    これから始まる一幕こそが、アイドルの披露宴なのだ。
    蘭子の父、新郎の母――
    よく見れば列席した親族達すら、期待に満ちた肩を弾ませている。


     『まずは元ご同僚の、二宮飛鳥様からご挨拶です♪』

     「いつでもいけるよ」


    通り一遍の挨拶をする気など微塵も感じられない、尖りきったスタイルだった。
    独特のファッションはより洗練され、アンプへ繋いだギターを挨拶がてらにかき鳴らす。
    招待席へ紛れていた飛鳥のファンが歓声を上げた。

     「蘭子。これはキミ達二人だけへ贈る、自身初となるラブソングだ」

    ぱちりと指を鳴らし、会場の照明が絞られる。
    スポットライトを浴びて、飛鳥は静かにギターを構えた。


     「結婚おめでとう。聴いてくれ――『二度と離すな』」


    参列者たちが配られていたサイリウムを折り、一斉に立ち上がった。


    395 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 22:57:37.35 ID:WZRWBcW7o


     『――では続きまして、同じく元ご同僚のアナスタシア様、どうぞ!』


    お手本のようなお辞儀を披露し、アーニャが壇上へ立つ。
    会場へ眩いばかりの美貌を向け、天使のように微笑んで見せた。
    思わず釘付けになっていた新郎の頬を、蘭子が強めにつまんで引っ張った。


     「只今ご紹介に預かりました、アナスタシアと申します」


    今度はアーニャのファン達が歓声に湧いた。

     「何よりもまず、二人へ心よりの祝福を。ご結婚、おめでとうございます」

    教員免許の取得を目指し、アーニャは大学へと再入学した。
    入学したその日に、とんでもない美人が来たという噂は隅々まで広まって。
    今では飛んでくるお茶の誘いをバッサバッサと切り捨てる毎日だ。

     「また、私との約束を固く守り続けている友人にも、心からの感謝を」

     「ニャ」

    グリフォンが短く鳴き、アーニャも小さく頷いた。

    396 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:17:43.41 ID:WZRWBcW7o


     「……」


     「……?」

     「アーニャちゃん、どうしたんだろ」

    黙り込んだアーニャへ、蘭子と彼は首を傾げる。
    用意しておいた文面が飛ぶほど緊張していた様子も見えない。

     「こんな所でいいかな」


    出し抜けに呟いて、小さなリモコンを操作する。
    直後に天井からスクリーンが降りて来て、アーニャはポケットから指示棒を取り出した。
    会場中を満たす疑問符へ向けて、彼女は再び天使の微笑みを見せる。

     「実は私、蘭子に好きな人をとられちゃったの」

     「……あ……アーニャちゃんっ?」

     「本当は、今でもけっこう悔しい。だから今日は、私の秘密のコレクションから」

    スクリーンに映像が映し出される。
    それは一枚の写真で、アイスを落としてしまった蘭子が涙目になっている場面だった。


     「蘭子の恥ずかしくて可愛い瞬間、ベスト10を用意してきました」

     「……ちゅっ、中止ーっ! 中止ぃーーっ!?」


    暴れ出した蘭子を、飛鳥は爆笑しながら羽交い締めにした。


    397 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:25:05.08 ID:WZRWBcW7o


     「ふぅっ……ふぅー……っ!」

     「……うん、大人ってのはこういう事をするんだ、蘭子。通過儀礼だよ」

     「うう……もう、お嫁にいけないよぉ……」

     「俺、ツッコんだ方がいいかな」


    結局、アーニャの詳らかな解説が中止される事は無かった。
    一から十まで余す所無く、蘭子の可愛さ講座特別編はその全編を終えたのだ。
    やりきった表情のアーニャは、涙目の蘭子に再びその美しい笑顔を向ける。
    蘭子があっかんべーを返すと、アーニャはウィンクしながら壇上を後にした。


     『では続きまして、魔王軍配下の一等獣騎士、グリフォン様よりご挨拶を頂きます』


     「……え?」

     「ニャッ」

    茄子のアナウンスを聞き、グリフォンがテーブルの上から軽やかに跳び降りる。
    足音も静かに壇上へ、そして演台に据えられたマイクの前へ跳び乗った。
    自慢の肉球でマイクを数度叩く。ボスボスという音を確かめ、顔を洗った。

     「ニャー」

    398 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:29:50.12 ID:WZRWBcW7o

     「……」

     「ニャー。ニャ、ニャウッ」

    普段の寡黙さを忘れたように、グリフォンが何度も鳴いた。
    会場中の誰もが呆気に取られている。
    その中で、蘭子と、アーニャと、茄子と。それから雪美と聖とペロだけが、固唾を呑んでいた。

     「ミー、ミー、ナォ――」

     「……」

     「――ニャア」

    時間にして一分ほどのスピーチが終わった。
    再び顔を洗うと、軽やかな足取りで蘭子の下へ戻ってゆく。
    わんわんと泣き出した蘭子に抱えられたグリフォンへ、アーニャ達が大きな拍手を贈った。
    少しずつ少しずつ、釣られたように拍手が大きさを増していく。

     『……ぐすっ。す、すみません……最近、涙脆くなっちゃって』

    洟を啜る茄子が落ち着きを取り戻すまで、しばらくの時間が必要だった。
    ようやく平静を取り戻し、茄子は一つ咳払いをした。


     『こほんっ。それでは続きまして、元ご同僚の高垣楓様によるスベ――』


    399 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:37:41.64 ID:WZRWBcW7o


     「――以上です……重ね重ね、幸せです」


    新郎の言葉に、そこかしこから口笛が飛ぶ。
    やたらに達者な幾つかが重なって、それは見事なハーモニーを奏でていた。


     『それでは最後に、本日もう一人の主役、新婦の蘭子様よりお言葉を頂きます♪』


    茄子に呼ばれ席を立つ。
    豪奢な靴をこちこちと鳴らし、壇上へと進み出た。
    演壇の前に立ち、そっと横目で両親を眺める。
    父はいっそ清々しい程に泣き腫らしながら、母がにこやかに蘭子を見つめていた。

    再び前を向く。
    半分は見知った顔で、もう半分はこれから知り合える顔。


    蘭子は不敵に笑った。



     「しかと刻め――我が名は神崎蘭子。今宵、この真名は闇へと葬られる」



    父も母も、ひどく驚いたように目を丸くした。
    彼女が二人を前に、もう一つの『本当の言葉』を話すのは、生まれて初めての事だった。


    400 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:40:32.28 ID:WZRWBcW7o


     「永き旅路だったわ。戦友を得、戦友を喪い、弓を捨て、新たな剣を得た」


     「不断の剣戟、その果てにヴァルハラを確かに視た」


     「醒めぬ夢は無く、解けぬ魔法も無い」


     「そう嘯く道化を蹴散らし、声高に歌い上げる灰被り共」


     「我が魂の器を愉悦の詩が満たし、救い損ねた民も無い」


     「今宵、此処に、我が新たなる真名を以て、真に高潔たる旗を翻そう」


    401 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:46:09.16 ID:WZRWBcW7o


    招待客たちも不敵に笑い返す。
    蘭子の言葉は難解で、不遜で、過大で、そして何よりも正直だった。
    彼女は満足げに頷いて、静かに目を閉じた。


     「ありがとう」


    そして笑って。


     「私がここまで来られたのは……みんなの、お陰です」


    肩を揺らして。


     「みんな……みんなっ…………」


    再び目を閉じて、四半世紀の生を振り返る。


    402 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/25(日) 23:59:03.21 ID:WZRWBcW7o


    祖父の、朧気な。
    祖母の、優しい。
    父の、やや気難しそうな。
    母の、至極のんきな。


    彼の、傷だらけな。
    楓の、お茶目な。
    飛鳥の、ニヒルな。
    アーニャの、美しい。
    グリフォンの、凛々しい。


    茄子の、奏の、周子の、凛の、李衣菜の、師匠の。
    芳乃の、美優の、雪美の、聖の、愛梨の、文香の、肇の、泰葉の、幸子の、ファンの、みんなの。


    何よりも愛しい、夫の。


    誰も彼もの笑顔を思い出し。



    そして蘭子は、今までで一番素直な言の葉を紡いだ。



    403 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:00:09.53 ID:uu0Wv9uzo





     「だいすきぃ……っ!!」





    404 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:00:42.45 ID:uu0Wv9uzo



     「なぁ、母さん」

     「どうしました、あなた?」



     「俺たち……蘭子の育て方、間違ったんじゃあないか」

     「奇遇ね……私も、そう思ってたところ」



     「この歳になって、親を泣かせるなんて、なぁ」

     「本当に、困った、愛娘だこと」



    405 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:01:17.31 ID:uu0Wv9uzo



    笑顔と祝福と、鳴り止まない拍手に囲まれて。



    いつまでも、いつまでも、蘭子は涙を零しながら笑っていた。



    406 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:02:15.70 ID:uu0Wv9uzo

    めでたし、めでたし。


    神崎蘭子「大好きっ!!」

    描ききれなかった蘭子ちゃん達の大活躍が載っております
    よろしければ是非、こちらの過去作もお楽しみください
    http://twpf.jp/Rhodium045


    闇に飲まれよ!


    407 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:08:09.73 ID:J1A+xmXjo
    やみのま!
    408 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:09:44.82 ID:27Ed5wwD0
    リアルタイムで完結を見れて幸せです。

    やみのま!


    409 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:14:57.65 ID:uu0Wv9uzo

    (あとがき)

    ・本作は幾つかの過去作と設定を共有していますが、致命的な一年間のズレがあります
     デレマスの不思議な年齢設定と考え無しな過去の俺によるコンビネーションをお楽しみください
    ・アニャ蘭、本当に最高だからもっと増えて
    ・第6回シンデレラガール総選挙楽しみ
    ・今回は50作目の特別記念なので、次回からまた短編に戻ります
    ・感想ください!!!!!!!!!!

    411 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:24:46.73 ID:4DXTJcDA0
    やみのま!
    いつも楽しんで、そして今回も楽しんで読んでました、次回も楽しみに待ってます
    412 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:28:22.36 ID:UwUIaU/v0
    やみのま!

    あんたの書く作品の雰囲気が大好物だ

    ありがとう、ありがとう
    413 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:36:01.48 ID:ScbfptY40
    やみのま!
    完結楽しみに待ってました、蘭子ちゃんが幸せそうで何よりです
    控えめに言って最高でした


    あと楓さんとか凛あたりは結婚式の出し物でスベって大やけどを負いそう
    414 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:38:10.65 ID:SBI878xeo
    やみのま、です。
    そしていいクリスマスプレゼントをありがとう。
    417 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 00:58:56.94 ID:PkmFSqGC0
    やみのま!
    毎回楽しみにしてるけど今回は特に最高だった!
    次回作も楽しみにしてるよー
    418 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/12/26(月) 01:32:49.41 ID:DeHTC7ulo
    やみのま!




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