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神崎蘭子「大好きっ!!」 前編

2018/ 12/ 12
  • タグ:神崎蘭子 二宮飛鳥 高垣楓 アナスタシア(シンデレラガールズ)

  •                  
    シンデレラガールズ 目次

    1 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 21:15:23.09 ID:NU0BR5gro


    【6歳 / 春】


     「なぁ、母さん」

     「どうしました、あなた?」


    火の国、熊本。
    とある住宅街に佇む一軒家、神崎家。


     「俺たち……蘭子の育て方、間違ったんじゃあないか」

     「あら、どうして?」


    春らしく気持ちの良い快晴だった。
    柔らかい笑みを浮かべる祖母に見守られ、広めの庭を駆け回る少女が一人。



    彼女こそ、神崎家の一人娘――蘭子である。



    SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1472300122


    2 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 21:18:32.33 ID:NU0BR5gro

     「自分で言うのも何だが……俺たち、これでもかと愛情を注いできたよな」

     「だって可愛いんだもの」

     「そこには全面的に同意するんだが」

    気難しそうな美男子といって差し支え無い父。
    輝く銀髪の美しい、どこか無邪気な母。
    二人は並んで日向ぼっこをしている。

     「蘭子を見てくれ」

     「可愛いわね」

     「ああ。もはやただの天使だ」

    蘭子が庭の一角に生えるクローバーの元にしゃがみ込んだ。
    小さな両手と愛らしい瞳をくるくる回し、四つ葉を探し求めている。

     「いつの間にかあの娘も小学生になる」

     「早いわねぇ」

     「あのままじゃ蘭子の身が危ない。最悪誘拐されかねん」

    腕を組んだ父が深刻そうな表情で呟く。
    今日も元気な雀たちが囀り始め、庭には蝶が飛び交っていた。

    3 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 21:21:24.72 ID:NU0BR5gro

     「だからこれからは心を鬼にして、時には社会の厳しい面」

     「パパっ! ママっ!」

     「ん? どうしたんだい、蘭子ー?」

     「これ、あげるっ!」

    クローバーで作られた、ぶかぶかの指輪。
    石の填め込まれる部分に、四つ葉が見事に咲き誇っていた。
    蘭子があちこちの指に填めているそれを、両親にも一つずつ差し出す。

     「おおっ、上手に出来たなぁ! 貰ってもいいのか?」

     「うんっ!」

     「あら、素敵ねぇ」

     「よーし、ご褒美の高い高いだーっ!」

     「きゃーっ♪」

    蘭子を肩車して、お父さんタクシーは祖母の元へまっしぐら。
    祖母へ指輪を手渡すと、皺だらけの手が蘭子の頭を撫でる。

     「蘭子は優しい子だねぇ」

     「えへへー」

    4 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 21:26:20.70 ID:NU0BR5gro



     「パパ、ママ、おばあちゃん、だーいすきっ!!」



    笑顔の咲き乱れる、穏やかな一日。
    緑茶を啜り、母がほぅと息をつく。


     「平和ねぇ」



    神崎蘭子、六歳の春であった。



    5 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 21:27:41.69 ID:NU0BR5gro


      ※(たぶん)長編です
      ※作者は(熊本県で広く用いられる方の)熊本弁が分かりません。ご容赦を


                
    PICK UP!

    8 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 22:11:42.88 ID:NU0BR5gro


    【12歳 / 冬】


    結論から言うと、両親の教育方針が変わる事は無かった。


    というのも、蘭子が実に良い子であったせいである。

    お夕飯の準備は手伝う。
    苦手なピーマンも頑張って食べる。
    お婆ちゃんの肩は叩く。
    お勉強は頑張る。
    溺れかけた仔犬を助けようと川に飛び込む――

    今か今かと待ち構えても、厳しく叱るべき場面は(最後以外)一向にやって来なかった。

     「わぁ……!」

    良い子にはご褒美を。
    神崎家の教育方針第一にして全である。
    オカルティックな書物やガラス細工などを両親、特に父親はたびたび買い与えていた。

     「ありがとうっ!」

    蘭子の趣味は……少々変わっていた。
    幼少のみぎりからお人形などにはあまり興味を示さず、とかく精緻で美しいものを好んだ。
    栞。風鈴。オルゴール。時計。フルート。万年筆……。
    中でも色には特別のこだわりが見て取れた。黒と銀と紫とを特に好んだ。


     「これが似合うんだものねぇ」


    蘭子は、黒と銀と紫の似合う少女だった。


    9 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 22:20:18.38 ID:NU0BR5gro


     「――もうオレらも中学生かぁ」


    放課後の帰り道。
    男女ごちゃ混ぜのいつもの仲良しグループは、どこかしんみりとしていた。

     「卒業式の練習、あんなにすると流石に冷めるよね」

     「オトナってのはよー分からん」

     「みんな西中だよね?」

     「いやアタシ越すんだって」

     「そうだったわ。福岡だよな?」

     「ん。まぁ携帯もネットもあるからなぁ」

    やいのやいのと盛り上がる会話の後ろで、蘭子は思いを巡らせていた。
    蘭子は熊本で生まれ、すくすくと熊本で育ってきた。
    この先も、ずっと先もそうなのかな? それとも福岡とか東京とか、どこかに引っ越すのかな?

     「そのうち社会科見学か何かで行くべ。そん時に顔出しちゃる」

     「ハイハイ楽しみにして……ランちゃん? どかした?」

     「……え? あ……」

    ぼうっとしていた思考を切り替える。
    何を言おうか迷って、思い付くままに口を開く。

    10 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/08/27(土) 22:26:53.50 ID:NU0BR5gro

     「……我が相棒の行く末を案じていたまでよ」
     (……このランドセル、どうしようかなぁって)

     「うーん……やっぱランちゃんの考える事はよー分からん」

    この六年間を通じて磨かれた蘭子語を、同級生達もまた六年間で体得していた。
    一部の女子の間では暗号として活用されている始末である。
    通信簿にて何度も指摘されている点であるが、両親は個性の一言でもって容認するばかりであった。

     「装束を纏いし我が姿も思い描いていたわ」
     (それと、西中の制服似合うかなぁって)

     「そういや制服合わせ来週だっけ」

     「蘭子も学ラン着よーぜ」

     「何でランちゃんが」

     「学ラン子」

     「小学生レベル」

     「オレもオメーも小学生だろが!」

    やいのやいのとまた盛り上がる会話の横で、蘭子は再び空を見上げる。


    熊本の空は、今日も良く晴れていた。


    19 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/02(金) 23:20:12.51 ID:gH/xnFhQo


     【13歳 / 初夏】


    神崎蘭子は美しい少女である。
    母譲りの流れる銀髪。父譲りの端正な眼差し。健康的に発育した身体。
    小学校から中学校ぐらいの時期に掛けて、人はいわゆる思春期に入る。


    手短に言えば、蘭子はそりゃもうモテていた。


    出身小の同級生はともかく、他校から上がってきた生徒たちはひどく驚いた。
    何せ持ち前の容姿に加え、自己紹介の第一声が、



     「クク……今こそ降臨の刻! 我が名は神崎蘭子!」
     (初めまして! 神崎蘭子ですっ!)



    である。
    教壇脇に立っていた新任の女性教諭は膝から崩れ落ちた。


     「むぅ……」

    それから一ヶ月半が経とうとしている。
    蘭子の評価は概ね「変わってる娘」ないしは「変わってるけどめっちゃ可愛い娘」に分かれていた。
    主に前者は女子、後者は男子による所感である。


    21 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/02(金) 23:52:15.49 ID:gH/xnFhQo

     「どしたの蘭子、って部活の用紙? まだ決めてなかったん?」

     「うむ……審判の日は近い……」
     (どうしよう……)

    服飾部が数年前に廃部となった事実を知った時、蘭子はちょっと涙目になった。
    仕入れていた情報を元にウキウキ気分で足を運んだ矢先の仕打ちである。
    次点で考えていた美術部もオカ研も、覗いてみると何だか少し違うような気がした。
    かといって運動部は論外である。蘭子は運動が苦手だった。

     「うへへー、アタシと一緒に帰宅部入ろうぜー?」

     「うーん……」

     「早速今日から入部して黄金のツートップで……ってヤベ」

     「むぅー……」

     「店の手伝い忘れてたっ! じゃね蘭子また明日っ!」

     「うん……バイバイ」

    蘭子が頭を抱えて悩み出す。
    誰も居なくなった教室に気付いたのはそれから三十分後だった。

    22 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 00:25:25.15 ID:Z6ZHfkFVo

     「むむむ……」

    夕陽がアスファルトを真っ赤に染める帰り道で、蘭子は未だ悩んでいた。

    実を言うと、蘭子自身もここまで悩むとは思ってもいなかったのだ。
    何が蘭子をそうさせるのか、自分でも不思議に思っているくらいだった。

     「……何か、違うなぁ」

    それが何なのかは全く分からない。
    ただ、今はそれを待つべきのような気がしてならなかった。


    ぐぅ。



     「……」

    顔を赤くして、蘭子がきょろきょろと辺りを見渡す。
    幸いにして時刻も遅く、遠くに運動部の男子グループが二、三見えるばかりであった。

     「お夕飯、ハンバーグがいいなぁ」


    蘭子は結局、ズルズルと帰宅部へ入り、先ほどの彼女と黄金のツートップを組む事となる。
    だが誰も、当の蘭子ですら、未だ知らない。


    23 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 00:27:55.96 ID:Z6ZHfkFVo



    ――蘭子が待っていた、何か。人はそれを『運命』と呼ぶ事を。



    24 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 01:24:22.75 ID:Z6ZHfkFVo


     【13歳 / 秋】


    蘭子の小さなガラスのハートは、歩き出して五分で早鐘を打ち鳴らしていた。


     「……」


    行き交う人から時たまちらりと視線を向けられる度、蘭子の肩が小さく跳ねる。
    その跳ね具合が徐々に収まってゆくにつれ、鼓動も段々と落ち着いてきていた。
    感触を確かめるように、舗装された道路をヒールでコツコツと叩く。


     「ほへぇー……」


    丸の内の超高層ビル群にも圧倒されたが、ここ竹下通りも圧巻だった。
    普段は中々着て歩く機会の無いゴシックスタイル。
    憧れだった衣装に身を包み、蘭子のご機嫌は徐々に高まっていった。


    25 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 02:10:05.01 ID:Z6ZHfkFVo

    親戚の結婚式に出席する為、神崎一家は東京へやって来ていた。
    ついでに観光でもしようかと話が纏まり掛けた際、蘭子は一世一代のワガママを口にした。


     「あのね、私……原宿に行って、みたいの…………一人で」


    当然の如く両親は大反対だった。
    可愛い一人娘、いや可愛くて可愛くて仕方の無い一人天使である。
    僅か十三歳の田舎っ子を一人で東京に放り出すなど以ての外であった。
    蘭子もそれは予想しており、だからこそ必死でお願いをしている。

     「…………ダメ……?」

     「ぐ、ぐぅっ……幾ら可愛くお願いしたって……ダメだ。俺達もついて行く」

     「ごめんね、蘭子……私達が居ちゃ、駄目?」

     「え、えっと……」

    両親が蘭子の為を思って言っているのを、蘭子自身も痛いほど理解していた。
    でも、蘭子にだって知られたくない秘密の一つや二つあるのだ。
    両親は「凝った服が好き」程度に考えている、蘭子のヒミツの趣味。
    だが実際は、「市販の服を仕立て直し、一式揃えてしまう程のゴシック好き」なのである。
    自分で繕った一番の自信作を着て、原宿の街を歩いてみたいのだ。


     「――まぁまぁ、いいじゃないの」


    祖母は、いつだって蘭子の味方だった。


    27 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 13:18:12.00 ID:Z6ZHfkFVo

     「母さん、流石に甘いよ」

     「蘭子。二人が蘭子を大切に思って言ってるのは、分かるかい?」

     「うん……」

     「義母さん」

     「じゃあ、心配掛けないようにしておやり。電話は持って来てるね?」

     「持ってるよ」

     「それの……GHQ? だかを点けて、二時間に一回は連絡を寄越す事。出来る?」

     「…………出来るっ!」

    祖母が頷いて、両親へと水を向ける。
    両親は唸り声を上げたまま、悩ましそうな表情を崩さない。

     「どうせ式は明日だろう? 昔から言うじゃないか。可愛い子には旅をさせろって」

     「……」

     「パパ、ママ。お願いっ……!」

     「……」

     「この子は悪さなんかしやしないよ。きっと可愛らしい秘密さ、ね?」

    唸り声を上げ続けていた母が、とうとう息をついた。

    28 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 14:34:52.46 ID:Z6ZHfkFVo

     「……予備の充電器を買って来るから、それも持って行く事。いい?」

     「……! うんっ!!」

     「あなた」

     「……一時間に一回、連絡を寄越す事。出来るかい、蘭子?」

     「出来るっ!!」

    両親に抱き着き、満面の笑みを浮かべる蘭子。
    二人が視線を向ければ、祖母も満面の笑みを三人へ向けていた。

     「夕飯までには帰って来る事。それから……」

     「あなた」

    追加注文を付けようとした先に蘭子の姿は無く。
    祖母に抱き着いている蘭子を見て、両親は苦笑を浮かべた。


    29 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 16:22:45.88 ID:Z6ZHfkFVo


     「……うん。お祭りやってたみたい。人がいっぱいで…………はーい」


    定時連絡を終え、落とさぬよう携帯電話をポケットにしまう。
    今のところ、駅でこっそり着替えて来た服に異常は無い。
    流石に浮くのではないかと心配していたが、杞憂に過ぎなかった。
    東京は、すごい。


     「~~♪」


    お気に入りの日傘をくるりと回す。

    夕飯の時間まではまだまだたっぷりある。
    祖母からは内緒のお小遣いまで貰ってしまった。
    お洒落な服の一着でも買って、それからお婆ちゃん達へのお土産も買って帰ろう。

    そう考えて、通りの先に目を向けた時だ。

    30 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 16:23:19.16 ID:Z6ZHfkFVo



    運命の瞬間というのは、得てして突然に訪れる。



    33 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 17:04:12.81 ID:Z6ZHfkFVo

    最初は何かのコスプレにも見えた。


    ずぶ濡れの全身。
    半ばから千切れたように無くなっているネクタイ。
    ペンキでもぶち撒けたかの如く、鮮やかな赤に染まった革鞄。


    異様な出で立ちの、スーツ姿の男が一人。ケバブサンドを囓りながら歩いて来る。


     「……?」

    東京には不思議な人が居るなぁ。
    そんな感想を抱きながら眺めていると、男と目が合った。


    ぽとり。


     『あっ』


    男の手からケバブサンドが包みごと零れて、二人の視線が地に落ちたそれに吸い寄せられる。
    しばらく呆然とした後、男は納得したように深く頷いた。


    34 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 17:39:10.37 ID:Z6ZHfkFVo


     「…………なるほど、道理で」


    蘭子にその呟きの意味は分からない。
    だが男は落ちたケバブサンドを手早く拾い上げ、ゴミ箱へと放り込んだ。
    そして丁寧に手を払うと、ずんずんと歩き出す。


    蘭子の方へ、真っ直ぐに。


     「…………え? えっ?」

    訳の分からぬままに慌てふためく蘭子に構わず、男が近付いて来る。
    何をするべきか迷っている内に、男は蘭子の眼前数歩前でぴたりと立ち止まった。


     「……」


    ど……どうしよう。
    何を言えば。
    け、警察?
    いや、パパ達に電話……?


    35 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 18:17:22.77 ID:Z6ZHfkFVo

    ぐるぐると蘭子の頭に行動が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
    何か、何か言わなきゃ。
    ぱくぱくと何度か口を動かしてから、蘭子はようやく言葉を絞り出した。



     「……我に何用か」
     (……な、何かご用ですか?)



    初対面の男に蘭子語が炸裂した。
    蘭子の「言葉」に、男の肩がぴくりと動く。

     「……」

    男が、スーツの内側へ手を伸ばした。


     「――ぴっ!?」


    ……う、撃たれるっ!?


    36 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 18:54:50.14 ID:Z6ZHfkFVo

    蘭子は日傘をほっぽり出してその場へしゃがみ込んだ。
    両手で頭を抱え、身体は小さく震えるばかりだった。


     「…………っ」


    ああ。
    パパ、ママ、おばあちゃん、ごめんなさい。
    私が間違ってたよ。東京は、こわい所だったよぅ……。


     「…………?」


    何かが変だ。
    銃声もしなければ、撃鉄を起こす音も聞こえない。
    小刻みに震えたまま、そっと、そうっと顔を上げる。


     「……あの、すみません」


    男の両腕は蘭子に向けて真っ直ぐ伸ばされ。
    その先には、小さく四角い――


    37 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/03(土) 18:58:08.73 ID:Z6ZHfkFVo



     「――アイドルのお仕事に、興味はありませんか?」



    ぽかんと名刺を眺める視界の端に、警察官の姿が見えた。



    45 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/09(金) 22:59:57.58 ID:8UxCeRD6o


     「……ご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした」

     「う、うむ……」


    紆余曲折を経て、二人の姿はランチタイムの洋食屋にあった。
    せめてものお詫びをという体でまんまと誘いに乗ってしまった事に、蘭子は未だ気付かない。
    ネクタイと鞄とジャケットは纏めてビニール袋に放り込んである。
    無精髭を生やした青年とゴスロリ少女の組み合わせは、傍目から見ても極めて怪しかった。

     「何にしますか? ああ、私が持ちますのでご遠慮無く」

     「……ハンバーグランチ」

     「分かりました」

    訝しむような店員にハンバーグランチとナポリタンを注文し、男が蘭子に向き直る。
    見知らぬ大人から視線を向けられ、蘭子は思わず居住まいを正した。

     「改めて……神崎さん、でしたね。先程は失礼致しました。私はこういう者です」

    男が改めて名刺を差し出す。
    ガラスの靴が描かれたそれには、やたらと長ったらしいカタカナが並んでいた。

    46 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/09(金) 23:03:47.23 ID:8UxCeRD6o

     「……?」

     「あ、ええと。要はアイドルを手掛けるお仕事と思ってもらえれば」

     「舞い踊る偶像……」
     (アイドル……)

    呟いた後にハッと気付く。
    蘭子の言葉に、男は興味深そうに目を瞬かせた。

     「……独特な、言葉遣いですね」

     「……」

     「由来などがお有りで?」

     「……我は戯れに舞い降りし異形の者」
     (……私、たまたまこっちへ来ただけの変なコです)

     「え?」



     「汝は、『瞳』を持つ者か?」



    47 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/09(金) 23:13:17.19 ID:8UxCeRD6o

    男は顎を撫で回してしばらく黙った。
    無言の間が、店内の賑わいを際立たせて二人の耳へ届ける。

     「……いえ。残念ながら持っていないと思います」

     「……」

     「ですが」

    よく見ればうっすらと痣の残っている顔で、男は笑顔を浮かべた。


     「変なコなんかじゃありませんよ。アイドルにだってなれる、可愛らしい女の子だと思います」


    口をぱくぱくとさせるだけの蘭子に、男が困ったように首を捻る。

     「神崎さん?」

     「……な」

     「な?」


     「何で分かるのっ!?」


    家族と同級生以外の、初めて『言葉』の通じた人だった。


    48 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 00:16:17.60 ID:I2Y0a2jKo

     「どうして、ですか」

    男が再び首を捻る。
    しばらく唸って考え込んだ後、返した言葉は極めてシンプルだった。

     「プロデューサーだから、でしょうか」

     「へっ?」

    思いも寄らなかった答えに呆然とする蘭子へ、男が名刺を指し示す。

     「そこにある通り、私はプロデューサー……の見習い……の真似事をしていまして」

     「うむ」

     「プロデューサーはつまり、アイドルとコミュニケーションを取るお仕事だと、社長も申していました」

     「うむ」

     「だから、何となく分かるんだと思います」

     「うむ」

     「この説明で、伝わりましたか?」

     「ううん」

    53 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 13:13:10.06 ID:I2Y0a2jKo

     「参りましたね」

    そう言って、男が苦笑する。

     「……汝に問おう」
     (あの、訊いていいですか?)

     「ええ。どうぞ」

     「何ゆえ、かのような奇怪極まる装束を」
    (どうしてあんなひどい格好だったんですか?)

     「ああ……それは」

     「お待たせ致しました。ハンバーグランチとカルボナーラです」

    店員が二人の前に皿を置く。
    じゅうじゅうと音を立てるハンバーグは、実に実に美味しそうだった。

     「……話すと長くなります。先に頂きましょう」

     「うむ!」

    蘭子がご機嫌な表情で熱々のハンバーグを切り分ける。


    男が浮かべた、少しだけ悲しそうな表情には気付かなかった。


    54 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 13:32:50.31 ID:I2Y0a2jKo


     「――そういった経緯で、神崎蘭子さんを是非我が事務所に迎え入れたく」


    ガラスの靴云々。カボチャの馬車云々。お城の舞踏会云々。


    彼の説得術はまるきり魔法じみていた。
    その卓越した語り口は、僅か十三歳のいたいけな少女をいとも容易く口説き落とす。
    元より綺麗なものには目が無い蘭子である。
    きらきらと眩しさにあふれるアイドルの世界、その魅力に抗える筈も無かった。

     「……」

     「……」

     「そうかい、蘭子がアイドルかい」

     「うんっ!」

    旅を終えた可愛い娘が、やたら大きなビニール袋を抱えた妙な男を連れて来た。
    絶句する両親の横で、祖母と蘭子がにこやかにお土産の雷おこしを頬張っている。

    55 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 14:03:43.46 ID:I2Y0a2jKo

     「……」

     「無論、唐突に過ぎる話です。本日お許しを頂けるなどとも考えておりません」

     「……」

     「所属して頂けた場合、活動拠点として東京へ移って頂く事になりますが」

     「……」

     「転入手続きや女子寮の入居手配、その他役所への届け等諸作業は全面的に協力致します」

     「……」

     「また所属後9ヶ月間は生活費等を我が事務所で7割前後負担致します。詳しくはこちらのご案内に……」

     「……」

     「……蘭子さんは、在籍中のアイドルにも負けない、魅力あふれる可愛らしい方だと感じました」

     「…………はっ」

     「事務所を挙げ、必ずや蘭子さんにトップアイドルへの道を用意致します」

     「あ、ええ、その……」

     「夕飯時を邪魔し、申し訳ありませんでした。また連絡を頂ける事を、心より願っております」


    きっちりと必要な説明を終えると、言葉を返す暇も無く男は頭を下げて去って行った。
    並んで固まったままの両親が、ホテルのロビーにぽつんと取り残される。


    56 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 14:05:08.95 ID:I2Y0a2jKo

     「……あなた。ちょっと旅をさせ過ぎたんじゃないかしら」

     「……」

    父が蘭子を見つめる。
    祖母に次から次へと話を捲し立てる彼女の瞳は、今までに見た事が無い程に煌めいていた。

     「……いや。むしろ、足りないくらいだったんじゃないか? 今までが」

     「……あなた」

     「蘭子はきっとこの先、苦労するだろう。上手くいかない事ばかりだろう。アイドルになるなら」

     「……」

     「蘭子」

     「はいっ!」

     「蘭子は、アイドルになりたいか?」

     「……! うんっ!!」

    真っ直ぐに見つめ返してくる蘭子の瞳。
    その純真さが奪われる日がいつか、しかし必ずやって来るのだろう。
    それを、もっと早く教えるべきだったのかもしれない。


    蘭子の世界は、余りにも優し過ぎた。


    57 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/10(土) 14:56:24.02 ID:I2Y0a2jKo

     「アイドルだって、お仕事だ。半分、いやもうほとんど大人の世界だ」

     「うん」

     「大人の世界で、甘えは通用しない。泣いたって許してくれない」

     「……うん」

     「それでもやりたいか? 皆と遠く離れても、蘭子はアイドルになりたいか?」

     「……」

    話をする間、蘭子は一度も目を逸らさなかった。



     「私、アイドルになりたい」



    どころか、その煌めきはより強く。



     「もっともっと、綺麗なものが知りたいの」



    63 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 14:23:54.38 ID:ytg9Jgyvo


     【14歳 / 春】


     「はぁ……ふぅっ……」


    東京へ来て四ヶ月が経った。
    今日も今日とてダンスレッスン。アイドルへの道は険しいのだ。
    だが、蘭子は弱音を吐いたりしない。
    それが運命に導かれし者の業だと、彼女はニヒルに(傍目からは実に可愛らしく)笑う。

     「お疲れ様です、蘭子ちゃん」

     「闇に飲まれよっ!」
     (お疲れ様ですっ!)

    差し出されたタオルを受け取り、蘭子が満面の笑みを浮かべる。
    彼は反対に、少し寂しげな笑みを浮かべた。

     「良いニュースがありますよ、蘭子ちゃん」

     「ほう! 福音が訪れたか!」
     (わぁ! 何ですかっ?)

     「蘭子ちゃんへ正式にプロデューサーが付く事になりました」

     「…………えっ?」


    笑顔を浮かべたままの蘭子の手から、タオルが床へ滑り落ちた。


    64 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 14:52:23.66 ID:ytg9Jgyvo

     「……プロデューサーは、プロデューサーでしょ?」

     「ええ。私が首になった訳ではありません。心配せずとも、とても優秀な人ですよ」

     「そ、そうじゃなくてっ。でも、プロデューサーの、プロデューサーで、プロデューサーが」

     「蘭子ちゃん」

    頭に、そっと柔らかい感触。

     「隠さず言います。私が担当のままでは、蘭子ちゃんが活躍出来ないんです」

     「で、でもっ! お仕事だって」

     「四ヶ月でたったの二回です。これは、はっきり言って少ない」

     「っ」

     「申し訳ありません、蘭子ちゃん。ご家族にあんな啖呵を切っておいて。私は」

    迷うように言葉を切る。

     「プロデュースの才能なんて無いのかもしれません。美嘉さんも、十時さんも、私は途中で」

     「……」

     「ですが、蘭子ちゃんの素質は本物です。これは、誰にだって否定なんかさせません。だから」

    65 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 15:13:00.70 ID:ytg9Jgyvo

    自身よりも頭一つは小さい少女へ、頭を下げた。

     「お願いします。どうか、アイドルを続けてほしい。シンデレラに、なってほしい」

    目の前のつむじをじっと見つめて、蘭子は息を呑んだ。
    大人に頭を下げられるのは生まれて初めてだった。
    何かを叫びそうになるのをぐっと堪えて、見えないのを承知の上で、こくりと頷く。

     「…………分かった」

     「ありがとう、蘭子ちゃん」

    彼の両手が、蘭子の両手を包むように握った。


     「頑張ろうね」

     「はい。頑張ります」


    小さくなっていく彼の背を、蘭子はじっと見つめていた。


    66 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 15:34:53.72 ID:ytg9Jgyvo


     「――やぁ。キミが蘭子ちゃんだね?」


    レッスンルームでターンの録画を観ていると、静かにドアが開かれた。
    現れたのは、無精髭も無ければペンキも被っていない、ごく普通の青年。
    近所の兄さんのような、親しみやすい笑みを浮かべている。

     「新しく担当プロデューサーになった者です。よろしく」

     「……」

     「……蘭子ちゃん?」

     「――汝は、”瞳”を持つ者か?」


    蘭子の言葉に、虚を突かれたかの如く動きが停止した。
    言葉を探すように宙を何度も指で掻き回す。


     「ごめん、不勉強でね……最近のゲームか何かで流行ってる?」


    魔力を喪ったかのように、蘭子の身体がふにゃりと崩れ落ちた。


    67 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 15:41:36.74 ID:ytg9Jgyvo


     【14歳 / 夏】


     「わわわわわわがっ、わわがととっととと」

     「落ち着こう蘭子ちゃん」


    レコード店のバックヤードで、蘭子の身体はいっそ愉快な程に震えていた。
    生来白い肌はいっそう色を薄くし、差した紅がいっそう際立って見える。

     「幻惑か、白昼夢か!? 下僕達が雲霞の如く……!?」
     (ゆ、夢!? 何でこんな集まってるの~!?)

     「幻……あ、なるほど。えーと」

    彼の蘭子語力は素晴らしい勢いで上達していた。
    検定ならば準二級は合格圏内間違い無しだった。

     「第一弾の五人がえらく好評でね。その期待が第二弾の先陣を切る蘭子ちゃんに」

     「あわわわわわわ」

     「落ち着こう蘭子ちゃん」

    理由を聞いた所で震えが止まる訳でもなく。
    蘭子の紅い瞳には神秘の雫まで滲み始めていた。

    70 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 16:24:22.50 ID:ytg9Jgyvo

     「む、無理……むりだよぅ……」

     「大丈夫。あんなに練習したじゃないか」

     「ふ、普通にやった方がいい、かな……?」

     「……普通?」

     「だから、その、えっと、こういう、話し方でとか、後は」

     「蘭子ちゃん」

    徐々に下がっていく目線へ合わせるように、彼は隣に屈み込んだ。
    歳の離れた姪でもあやすような、ごく柔らかい目付きを湛えて。

     「蘭子ちゃんの普通は、そっちじゃない。そうだろう?」

     「……」

     「本当に、普通に、蘭子ちゃんがやりたい通りにやっていいんだ」

     「……本当?」

     「本当さ。まだ知らない神崎蘭子を、みんな知りたがってる」

    71 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 16:45:53.35 ID:ytg9Jgyvo

    扉の影から蘭子がそっと店内を見渡す。
    若い男女が中心。いかにも楽しげで、期待に満ちた雰囲気。
    彼らはまだ、蘭子の事を知らない。

     「教えてあげてほしいんだ。神崎蘭子が誰なのかを」

     「……最初だけ」

     「ん」

     「最初だけ……普通に、やってみる」

     「ああ。最初だけ、一歩だけでいい――楽しんで」

    うるさい胸に手を当てて黙らせた。
    店員さんの合図に頷くと、ミニステージ周辺の照明が落とされる。


     「お? 停電?」

     「演出じゃね」

     「なる」


    暗闇の中へ、一人の少女が歩み出た。


    72 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 17:04:12.59 ID:ytg9Jgyvo

     「――誇るがいいわ。天使が地に堕つ姿を目に出来る悦びを」

    一歩。

     「刻は満ちた。神秘の円盤はその姿を現し、あまねく世界へと満ちる」

    二歩。

     「今こそ降誕の刻……煉獄より舞い降りし堕天使、神崎蘭子!!」

    三歩。



     『――華蕾夢ミル狂詩曲!!』



    ちなみに今の蘭子は、『煉獄』を『地獄』のカッコイイ言い方だと思っている。



    75 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/09/25(日) 19:58:57.17 ID:ytg9Jgyvo

    幕引きは相異なる反応で彩られた。
    なかなかの大きさの拍手と、呆けたような表情と。


     『ありがとうございました。神崎蘭子さんに、今一度大きな拍手を!』


    進行役の店員さんがアナウンスし、拍手が一際大きくなる。
    そこで蘭子ははたと気付いた。
    頭を下げるべきか、退がるべきか、手を振るべきか。
    どうすればいいのか。

     「……」


    普通にやろうっと。


     「――闇に飲まれよっ!!」
     (ありがとうございましたー!)


    蘭子のデビューライブは、後の本人曰く「ごく普通の出来」だった。


    81 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 15:59:57.16 ID:J6ROG74co


     【14歳 / 秋】


    神崎蘭子は多感な少女である。いやらしい意味ではない。


    その琴線は細く、鋭く、美しい。
    それ故に様々な人物から影響を受けてこれまでの人生を過ごしてきた。
    もちろん、ここCGプロダクションもその例外ではない。
    百名を超える、個性豊かという一言では表せない所属アイドル達。


    中でも、特に蘭子へ影響を与えた三人のアイドルが居た。


    82 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 16:30:13.87 ID:J6ROG74co


     「――ひっ……」


    浮かれていた。
    気心の知れた戦友。頼りにしている年長者。

    もはや蘭子の周りに味方はおらず、ただ屍を晒すのみ。

     「あ……あ……」

    憧れていた。背を追い掛けた。
    ずっと遠くにあると思っていた……眼前の裏切り者。

    得物を手にしたその影が、ゆっくり、ゆっくりと蘭子へ歩み寄って来る。


     「――ふふ……ふ、ふふっ……ふふふふ……」


    早くも隠しきれなくなったので名前を出すが、その内の一人が高垣楓である。


    83 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 16:54:20.76 ID:J6ROG74co

    多田李衣菜は凶弾に倒れ。
    渋谷凛は矢尽き。
    新田美波すら弓折れた。
    世紀末だった。

     「蘭子ちゃーん……♪」

     「は、はひっ……」

     「おつまみ、無くなっちゃって……ところで」

     「……」


     「蘭子ちゃんって……食べちゃいたいくらい、可愛いですねぇ……♪」

     「……ぁ……あぁぁっ……」


    楓に酒瓶。
    言うまでも無いが、鬼に金棒と同義の慣用句だ。


    84 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 17:12:39.77 ID:J6ROG74co

    何て綺麗な人。
    そう記憶に焼き付いた美貌は、今や酒精に紅く。


    何て神秘的な瞳。
    そう吸い込まれそうになった両目は、どちらも焦点が危うい。


    何て羨ましい背。
    そう憧れた長身は、今や畳の上を這いずっていた。


     「ふふ……蘭子ちゃんを肴に――」

     「ひっ……せ、世紀末歌ひめぇ……!?」


    85 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 17:15:46.90 ID:J6ROG74co



     「――寒梅で、乾杯♪」



    86 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 17:17:44.13 ID:J6ROG74co


     「おはようございます」

     「おはようございます、楓さん」


    爽やかな秋晴れが心地良い翌朝。
    昼下がりに出社した楓を、担当プロデューサーがいつもの笑顔で迎えた。

     「CD収録の打ち上げ、どうでした?」

     「楽しかったですよ。みんな疲れてたみたいで、いつの間にか眠っていましたけど」

     「ははは、皆さんまだ若いですからね」

     「あら、ひどい……私はもうおばさんだと」

     「ああいえ、別にそういう意味ではなくて……!」

     「ちょっと煩わしい太陽ね……」
     (おはようございます……)

    いつもの彼女が魔王ならば、今朝の彼女は小悪魔B。
    巻き髪を揺らしながら事務所を覗き込むように呟いた蘭子の挨拶へ、楓が振り向いた。
    まさか真っ先に出会うとは予想していなかった為に、制服姿のままの蘭子がビクリと跳ねる。

    87 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 18:08:08.92 ID:J6ROG74co

     「あら。おはようございます、蘭子ちゃん」

     「お、おはよう……ございます。せ……楓さん」

     「昨日は楽しかったですね。最後の方がちょっとあやふやですけど」

     「……」

    蘭子は悩んだ。
    夕べの事をどう受け止めるべきなのか未だに決めあぐねていた為だ。

    一目見て憧れた高垣楓。
    四合瓶を片手に管を巻いていた世紀末歌姫。
    あの地獄絵図を一夜の悪夢として忘れるか、現実として受け止め生き抜くか。
    蘭子の父が懸念した壁は、非常に情け無い形で彼女の前に立ちはだかっていた。


     「…………うむ……」


    蘭子はこの日、ちょっとだけ大人になった。


    88 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 18:37:36.17 ID:J6ROG74co


     【14歳 / 冬】


    一目で分かった。
    二人の間に言葉は必要無かった。


     「――へぇ。これはこれは」


    暖房の効いた室内だというのに、何故かマフラーを外さない少女。
    ふんだんにファーで飾られたジャケットも相まって、冬だというのにうっすらと汗ばんでいる。
    それが彼女のセカイだった。

     「そうだね、最初に名を訊いておこうか……ああいや、すまない」

    口角を上げ、軽く首を振る。


     「まずは自分から、だね――飛鳥だ。ボクは二宮飛鳥」

     「良い響きね――我が名は神崎蘭子」


    セカイが邂逅し、魂が共鳴した。


    89 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 18:55:58.24 ID:J6ROG74co

     「ほう……闇夜への供物を」
     (ブラックコーヒー飲めるんだ。すごいっ)

     「慣れてしまえば大した事は無いよ。日常の一部に溶け込むさ」

     「我が魂が欲するのは無垢と咎との混沌ね」
     (コーヒー牛乳は好きなんだけどなー)

     「まぁ、蘭子ももう少し成長すれば大丈夫さ。時とは偉大な万能薬だね」


    滑らかな会話が更に弾む。
    十年来の知己だったかの如く、その空気は納得と理解に満ちていた。

     「お、蘭子ちゃん来てたのか。二宮さんも」

     「おはようございまーす」

     「やぁ、良い朝だね」

     「おはよう。もう慣れたかな、二宮さん?」

     「ああ。まだ日は浅いが、思ったよりも随分と馴染むね。悔しいくらいだ」

     「ははは、これから頑張っていこう」

    飛鳥は涼しい顔だった。
    マフラーはいつの間にか外していた。

    90 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 20:03:03.63 ID:J6ROG74co

     「我が友よ! 我は魂の繋がりを必要としているわ!」
     (プロデューサー! ユニット組みたいです!)

     「え? 二宮さんと?」

     「無論っ」
     (うんっ!)

     「うーん……まだ新人だけど……向こうの担当さんに打診しておくよ」


     「……向こう?」

     「うん?」


    何か一つ、話が食い違っていた。
    言葉を借りるならば、セカイが歪んでいた。

     「飛鳥ちゃん、新しいアイドルでしょ?」

     「うん、多田さんとこの」

     「え?」

     「ん?」

     「プロデューサーの」

     「多田さん担当のとこの」

    94 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 20:40:34.67 ID:J6ROG74co

    蘭子が口を丸く開け、飛鳥がそれを興味深そうに観察していた。

     「何ゆえっ!?」
     (何でぇっ!?)

     「いや、蘭子ちゃんで手一杯だし俺」

     「やだー!」

     「そう言われても」

     「ユニット組むのー!」

     「それは本当に伝えとくけど」

     「ならば良い」
     (やったー)

     「良い子だ」

     「愉快な事務所だね、ここは」


    彼女らが闇の輝きを解き放つには、もう暫しの時が掛かる。


    96 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 21:13:58.33 ID:J6ROG74co


     【15歳 / 春】


    冬の似合う少女は、春の息吹と共にやって来た。


     「お茶でよかったかな?」

     「ダー。緑茶、好きです」

    今度こそ、正真正銘、間違い無く。
    彼が蘭子と共に担当する事となった少女。
    アーニャ――アナスタシア。
    諸々の雑事を終え、二人の姿は蘭子の、そしてアーニャの部屋にあった。

     「ガリェーチっ」

     「む?」

     「お茶……熱かったです」

    舌を出して笑う姿は、氷像のように整った容姿に似つかわず。
    しかしそのギャップが年頃の可愛らしさを引き立てていた。

     「フフ……此処をそなたの居城と思って存分に寛ぐがいいわ」
     (これからは二人のお家だから、遠慮しないでね)

     「ダー。ふつかかものですが、よろしくお願いしますね」


    日本語、ロシア語、英語、蘭子語。
    アーニャはマルチリンガルな才女でもあった。


    98 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 22:17:00.43 ID:J6ROG74co

     「ミェディヴェジュナーク……可愛いですね」

     「あ、このコ? えへへ、可愛いでしょ。くまちゃん君だよ」

     「くま君」

     「くまちゃん君」

     「くまちゃん君」

    アーニャの視線の先にあったぬいぐるみを蘭子が抱き寄せた。
    小日向美穂から贈られた逸品である。
    軽いホームシックで眠れない夜など、蘭子はよく彼を抱いて眠っている。
    口元を隠すように抱き上げて、ふかふかの右手を小さく振らせた。

     「コンニチハ、アーニャ!」

     「プリヴェート、くまちゃん君さん」

     「くまちゃん君」

     「くまちゃん君」

    歓迎の挨拶に、アーニャが笑顔でタッチを返す。
    可愛い成分が部屋に充満していた。

    101 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 22:35:30.95 ID:J6ROG74co

     「いいですね。ロシアにもメドヴェーチ……熊、たくさん居ました」

     「……」

     「蘭子?」

     「雪の旋律か……美しき調べね」
     (ロシア語……カッコイイね!)

     「シト? そう、でしょうか」

     「うむ!」

    蘭子に同調するようにくまちゃん君が頷く。
    アーニャは一瞬どちらの頭を撫でようか迷って、結局くまちゃん君の方を撫でた。
    ちなみに蘭子の頭は事務所でも一、二を争う程の撫で心地を誇っている。

     「蘭子もロシア語、話してみますか?」

     「クク……この程度、造作も無い」
     (うん! 使いこなせたらカッコイイよねっ)


    そして、アーニャ教諭によるロシア語講座が始まる。


    103 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 22:46:23.43 ID:J6ROG74co

     「ンー……まずは、あいさつから」

     「うむ!」

     「Здравствуйте」

     「ずどらーすとびちぇ」

     「Здравствуйте.」

     「ずどらーすとびちぇ」

     「ра、はユズィーク……舌を巻きます」

     「ふむ」

     「ра」

     「ルァ」

     「ダー。その調子です」

     「えへへ」

     「Здравствуйте」

     「ずどらーすとびちぇ」


    蘭子は英語もちょっと苦手だった。


    104 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 23:04:13.81 ID:J6ROG74co

     「おはようございます」

     「グラモスキーなソーンツェね!」
     (プリヴェートです!)

     「プリヴェート、わが……しっこく? のしもべ……プロデューサー、よ」



     「……」

     「グラモスキーなソーンツェ!」
     (プリヴェートですっ!)

     「わが……ンー……太陽の、プリヴェートプロデューサー……?」


    穏やかな顔がやや曇ったプロデューサー。
    ポーズを決め自信に満ちあふれた蘭子。
    徐々に混乱し始めたアーニャ。

    三人四脚で例えると、三人とも紐が上手く結べない状況に近いだろうか。

    105 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/08(土) 23:13:24.38 ID:J6ROG74co

    爽やかな初夏の朝だった。
    彼は目を閉じると、天を仰ぎながら息をつく。

     「おはよう。それで、二人とも」

     「うむ!」

     「ダー」



     「混ぜるの、禁止」

     「えー」

     「……シト?」



    蘭子がロシア語をマスターするには、そこそこの年月が必要となった。



    135 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/02(水) 19:47:46.96 ID:+/VuumgXo

     【15歳 / 初夏】


     「ねぇ、我が友ってばー」

     「……………………」


    呆けていた。
    彼は一分の隙も無く呆けていた。

    第2回シンデレラガール授賞式(今回からシンデレラパーティーと名付けられた)。
    その閉幕からそろそろ小一時間も経過しようという頃。

    呆けていた。未だに。

     「狂乱の宴へ赴こうぞー」
     (パーティー行かないのー?)

     「……………………」

     「パーティー……行かない、ですか……?」

    椅子に深くもたれ掛かり、空っぽの壇上を見つめたままの彼。
    蘭子とアーニャは彼を挟むように座り、左右からそれはもう容赦無く揺すり続けている。

    136 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/02(水) 19:52:06.17 ID:+/VuumgXo

     「パーティー……バヌキェット……」

    アーニャはホームパーティーも好きだったし、そもそもこういう祝い事を好む。
    みんなの笑顔に囲まれていると、自然に自分も笑顔になれるからだ。
    彼女は本当に良い子だった。

     「……蘭子ちゃん、アーニャちゃん」

     「むっ! ようやく正気を取り戻したか!」
     (朝だよ、ねぼすけプロデューサー!)

     「俺の頬、つねってくれ」

    久方ぶりに取り戻した言葉はごく短かった。
    二人は顔を見合わせると、彼の両頬にそれぞれの手を伸ばす。



     「いだだだだだだだだ強い強い強いぃ!!」

     「神罰ね」
     (女の子をほっとくからー)

     「ダー」



    137 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/02(水) 20:01:32.76 ID:+/VuumgXo

    頬をさすりながら頭を振る。
    溜息をつくと、再び椅子へ倒れ込んだ。

     「いや、未だに信じられなくてさ……」

     「我が身こそ灰被り姫っ!」
     (シンデレラガールだよっ!)

     「そのつぎ、です。ちょっと残念だけど……ハラショー」


    第2回シンデレラガール選抜総選挙。


    第1位、神崎蘭子。
    第2位、アナスタシア。


    ――快挙だった。


    139 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/02(水) 20:20:27.86 ID:+/VuumgXo

     「言い方が悪いけど……蘭子ちゃんは分かるんだよ。凄く頑張ったし、調子も良かった」

     「うむ!」

     「アーニャちゃん、まだ写真と120秒のメッセージしか公開してなかったよね……?」


    冬にスカウトを受け、春に活動を開始したばかりのアナスタシア。
    せっかくだからと総選挙名簿に載せた彼女のプロフィール。
    彼としては特に顔出し以上の意味合いを持たせたつもりは無かった。


     「ダー。歌、唄いたいです」


    期待の新星、という表現がある。
    アーニャの大躍進は正しく超新星爆発とも言えた。

    140 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/02(水) 20:32:16.87 ID:+/VuumgXo

     「二人とも」

    立ち上がり、二人の目を正面から見つめる。
    スラックスで手を拭うと、そっと二人の手を握った。

     「ついて来てくれてありがとう。これからも、宜しく」

     「ダー。まだまだこれから、ですね?」

     「ククク……湧き出でる我が魔力に耐えきれるかしら?」
     (はいっ! よろしくお願いしますっ!!)

     「ははは、望む所……っと」

    思い出したように腕時計を確認して、彼は笑う。


     「さて、これ以上は遅れられないなぁ。魔法も解けちゃうかもしれないし」

     「え……えぇ~っ!? そ、それはやだ~っ!!」

     「だいじょうぶ、です。シンデレラは、遅れてやって来ました」

     「はは。さぁ、行こうか――」


    二人を置き去りにするかのような、靴でも脱げそうな勢いで。


    魔杖を抱えたシンデレラは、舞踏会場へと駆け出して行った。


    113 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 16:15:06.60 ID:7NQSMbb+o


     【15歳 / 盛夏】


     「はぁ……ふぅっ……」


    一口に暑さと言えど、その暑さには様々な種類がある。
    世界中はもちろん、この日本列島の中でも。


    火の国、熊本。
    故郷の暑さには、東京ともまた異なる厳しさがあった。


     「あつ……いー……」


    七分丈のデニムにサンダル。フランス袖のブラウスにハンティングキャップ。
    今日の蘭子はゴシックを返上していた。
    秘密の趣味はとうの昔に親にもバレている。
    だが、蘭子とて年頃の女の子。
    恥ずかしいものは、やっぱり恥ずかしいのだ。


     「つ、い……たー……」


    春休み以来の我が家。
    蝉が大合唱を奏でて、蘭子に唄う気力は残されていなかった。


    114 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 16:22:18.12 ID:7NQSMbb+o


    てぃ……てぃんっ。ききん、きぃん――


    涼やかな音色に足を止める。
    風に揺れる、二つの鈴の音が蘭子の元へ届いていた。
    川崎大師の市で一目惚れした、チタンの風鈴。
    藤原肇に作ってもらったばかりの、備前焼の風鈴。
    実家への贈り物は、猛暑に喘ぐ蘭子を快く出迎えてくれた。


     「ただいまー」

     「お帰り、蘭子」

    洗濯籠を手に、母が脱衣所から顔を覗かせる。

     「文明堂のカステラあるから手洗ってらっしゃい。黒糖のよ?」

     「え、ホントっ!? やったー」

    洗面所で手洗いを済ませ台所へと急ぐ。
    水音の元を覗けば、祖母が洗い物をしている所だった。

     「お帰り、蘭子。暑かっただろう。麦茶が冷えとるよ」

     「ありがとー」

    戸棚からカステラを取り出す。
    母と祖母の分も切り分け、三つのコップに麦茶をたっぷり。

    115 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 16:38:50.65 ID:7NQSMbb+o

     「どっこいしょっと」

    祖母が腰を下ろしたのを見て、我慢出来ずにカステラをぱくり。
    久しぶりの甘さが蘭子の小さな口を満たし、笑顔をあふれさせた。

     「ふはー……おいしー……♪」

     「和三盆も良いけれど、こっちも美味しいねぇ」

     「今度は抹茶の買って来ましょうか」

     「あ、そういえば熊工ってどうなったの?」

     「4-0で二回戦負け。久しぶりだったんだけどね」

     「えー、負けちゃったんだ」

     「応援が足りなかったかねぇ」

    カステラはあっという間に無くなり、母が夕食の準備に取り掛かる。
    シーフードカレーだと聞き、蘭子もお手伝いを買って出た。
    夕暮れ時でも暑さは退かず、香辛料の匂いが空調の効いた室内をかき回す。

    116 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 17:01:05.55 ID:7NQSMbb+o

    自動車のエンジン音が聞こえた。
    タイヤが車庫のステップを二度踏みならし、すぐに静かになる。

     「あ、帰って来たみたいね。蘭子、鞄を」

     「――蘭子が帰って来たんだって!? おお久しぶりだな蘭子、元気だよな!? シンデレラガールおめでとう!! 頑張ったな! 友達もいっぱい出来たみたいでよろしい! 何か困ってる事とか足りない物があれ」



     「あなた」

     「あ、ああ……ただいま。蘭子もお帰り」

     「……あ、そっか。私、シンデレラガールになったんだ」


    蘭子がぽんと手を打つ。
    一拍遅れて、母と祖母も思い出したように手を鳴らした。
    神崎家はのんびり屋が多かった。


    117 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 17:15:57.10 ID:7NQSMbb+o


     「――ロシアじゃビールはジュースですよ? って」

     「ははは、とんだスキャンダルだなぁ」


    家族にひとしきり撫で終えられると、賑やかな夕食が始まる。
    身振り手振りを交えた数々のエピソードに、一同はひっきりなしに笑いを零した。

     「辛い事は無かったかい? 蘭子」

    祖母が、優しい声と不安げな表情をもって訊ねた。
    その問いに、父と母も頷くように蘭子の顔を覗き込む。
    ホタテと共に質問を咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。


     「ううん、いっぱいあったよ」


    蘭子は、隠さなかった。


    118 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 17:32:27.23 ID:7NQSMbb+o

     「CD収録は何十回もやり直したし、オーディションにも十個くらい落ちたかなぁ」

     「そうか」

     「麗さんって人のダンスレッスンなんて本当に死んじゃいそうだし」

     「そう」

     「私が選ばれたやつに落ちちゃった人に、何て話し掛ければいいか分からなかったり」

     「そうかい」

     「共演の人を怒らせちゃって、プロデューサーと一緒に謝ろうとして泣いちゃったり」

     「蘭子」

     「うん」

     「アイドルは、楽しいか?」

     「楽しいよ、すっごく」

     「そうか」


    ごちそうさまでした。あっ、やっぱり今のなしね。なし。


    きちんと手を合わせて、蘭子が頭を下げる。
    祖母が冷凍庫から取り出したアイスクリームを見ると、慌てたように挨拶を取り消した。


    119 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 17:54:46.64 ID:7NQSMbb+o

     「なぁ、母さん」

     「どうしました、あなた?」

     「旅に出した甲斐は、あったかな」


     「そうねぇ。これ以上可愛くなっちゃったらどうしましょう」

     「困った娘だなぁ」

     「困った娘ねぇ」


    いっただっきまーすっ。


    先程より一回り小さなスプーンを手に、笑顔の蘭子が再び手を合わせた。


    120 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 18:14:08.49 ID:7NQSMbb+o


     【15歳 / 秋】


     「ふむふむ……ほほぉ……!」


    美波の写真集へ齧り付き、蘭子は興奮していた。
    CGプロダクション所属アイドルの1st写真集。
    満場一致でそのモデルに抜擢されたのは新田美波だった。

     「オー……ハラショー……」

    そのページをアーニャも横から覗き込む。
    水着、浴衣、フェミニンな私服、ステージ衣装、燕尾服。
    どのページにも美波の魅力が余す所無く表現されていた。

     「齧り付きだね、二人とも」

     「だってすっごく綺麗なんだもん! ほら飛鳥ちゃんもほらっ!」

     「わかった。理解ったから押し付けないでくれるかい。視界がゼロだ」

    向かいのソファでウィッグを梳いていた飛鳥へ蘭子が写真集を押し付ける。
    襲い来るページを折り畳みの櫛で食い止めながら、聞こえるように溜息をついた。

    121 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 18:41:41.45 ID:7NQSMbb+o

     「何だ、蘭子はグラビアに憧れていたのかい?」

     「うんっ!」

     「飛鳥はグラビア……興味無いですか?」

     「生憎、大衆の前に晒せるようなカラダは持ち合わせが無くてね」

    蘭子が飛鳥の身体をぺたぺたと確かめる。
    眉の角度を僅かに上げ、飛鳥がその手をぺしりと払った。

     「持たざる者を悪戯に弄ぶものじゃない」

     「むぅ」

    払われた両手をじっと見て、蘭子はプロデューサーのデスクへ向かう。

     「下僕よ」
     (プロデューサー)

     「ん?」

     「我にも真実の聖典を」
     (グラビアやりたい)

    123 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 20:14:27.84 ID:7NQSMbb+o

    タイピングが止まる。
    オフィスチェアを軋ませて蘭子へと向き直った。
    期待に満ちた口元と、きらきらと煌めく両の瞳。
    その表情と握られた写真集とを見比べて、彼は軽く微笑んだ。


     「いや、ちょっと蘭子ちゃんには早いんじゃないかな……」

     「えー! バッチリだよ!」

     「ウチの方針的に中3はちょっと……」


    確かに蘭子は素晴らしい身体を持ち併せているが。


    改めてそう深く頷く彼の肩を、白磁の手が優しく叩いた。
    振り向いてみれば、そこにあったのはアーニャ素敵な笑顔と、飛鳥の真顔。


     「セクハラ、ニェート」

     「やれやれ。いいオトナが中学生へセクハラか」

     「いや、違うから……ちひろさん! 違いますから! ホント!!」


    124 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 20:18:50.93 ID:7NQSMbb+o

    千川ちひろの笑顔とにらめっこを終え、むくれ顔の蘭子へ再び向き直る。
    片手で何度かデスクトップを操作すると、伺うように蘭子へ訊ねた。

     「……どうしてもやりたい? グラビア」

     「……! うんっ!」

     「分かった。実を言うと、グラビアのお誘い自体は来てたんだ」

     「真かっ!?」
     (ホントっ!?)

     「うん。ただ、メインはアーニャちゃんって話で」

     「……シト? 私、ですか?」

     「他のプロデューサーからの紹介でね。やってみる?」

     「うむ! うむっ!!」

     「ダー。やります」


    飛び跳ねて喜ぶ蘭子を見て、アーニャは二つ返事で承諾した。


    125 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 20:25:36.49 ID:7NQSMbb+o


     「――良いねー。次はマガジンの底見せるように構えてみてー」


    コンバットシャツの上に吊ったプレートキャリア。
    マガジンポーチやツールポーチを隙間無く留め、肩からはラジオアンテナが伸びる。
    ブラッドパッチの隣に並ぶトリコロールは生まれ故郷の旗印。
    安全の為に欠かせないシューティング・グラス。

    インカムをずらして、アーニャはMP443をアップ・スタンスで構えた。

     「いやー似合うね。次は赤軍装備いってみようか!」

     「ダー」

    ロシア連邦陸軍に寄せた装備を揺らし、アーニャがぺこりとお辞儀を一つ。


     「下僕よ」
     (プロデューサー)

     「……」

     「下僕」
     (ねぇ)

     「……嘘は言ってなかっただろう? ちゃんと写真集じゃなくグラビアって伝えたし」

     「……むー!!」

    アメリカ合衆国海兵隊の現用装備を揺らし、蘭子がむくれた。
    頭以外、踝や手首に至るまで、露出は完全にゼロである。

    126 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 21:13:38.84 ID:7NQSMbb+o

    しばらくぴょこぴょこと抗議の意を表していた蘭子。
    やがて装備の重量に屈し、へたりと床に座り込んだ。

     「うぅ……これが戦乙女の重圧……」
     (お……重いー……)

     「エアガンにレプリカ装備でもこれだけ色々くっ付けたらなぁ……」

     「黄金聖衣……」
     (可愛い衣装……)


    大和亜季たちから紹介を受けた、ミリタリー専門誌の巻頭グラビア撮影。
    軍用の装備を身に着け、国防色をバックに撮影が進む。
    可愛い成分は蘭子とアーニャ以外に存在しなかった。

     「いやほら蘭子ちゃん、魔力はともかく戦闘力は高そうだし」

     「……むぅ」

     「そう、可愛くて格好良いアイドルなんて最強だと思わないか?」

     「……」

    忙しなく手を振る彼を見つめ、アーニャの方へ視線を移す。

    127 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/10/22(土) 21:24:43.85 ID:7NQSMbb+o

     「アナスタシアさん、それメタルレシーバーだけど重くない?」

     「ニェート……何だか、とても馴染みます。手に……吸い付くみたいで」

    SVT-40を取り回し、不思議そうに眺めるアーニャ。
    心なしか、彼女はいつも以上に楽しそうで。

     「……フ、まぁ良しとしよう。時には異邦の衣を纏うのも一興ね」
     (うん。たまにはカッコイイ服も良いかな)

     「お。ノリ気になってくれたかな」

     「さぁ! 我の手に魔杖を捧げよっ!」
     (よーし! カッコイイ鉄砲貸してください!)

     「……え、あの、蘭子ちゃん。それはちょっと蘭子ちゃんには大きいんじゃ」

     「ククク……これしき、魔王たる我が身には造作も無いわ!」
     (大丈夫です! シンデレラガールはカッコよく決めないとっ!)


    調子に乗ってMG4軽機関銃を振り回した翌日、魔王はひどい筋肉痛に襲われた。


    147 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 08:52:26.15 ID:UxRZuveto


     【15歳 / 冬】


    それもまた、運命と言える。


    148 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 08:54:26.62 ID:UxRZuveto

     「蘭子ちゃん。こっちへ」

    CD収録の為にスタジオを訪れてすぐ、彼が準備中の蘭子を手招きした。
    首を傾げながらもそばへ寄ると、手にしていた封筒を突き出される。

     「熊本へ戻って。すぐに」


     「……な、何ゆえ?」
     (ど、どうしたんですか?)

     「お祖母様の容態が悪くなったらしい」

    脳裏に皺の刻まれた笑顔が浮かび、蘭子の頬が強張った。

     「え、あのっ、これから」

     「そんなのは俺が這いつくばればどうとでもなる。早く」

     「で、でもっ」

     「……濁して悪かった。危篤、だ」

    149 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 09:19:39.55 ID:UxRZuveto

    キトク。

    勉強熱心な蘭子の頭に、すぐさまその二文字が過ぎった。
    同時に、決して良い意味は含まれていない事も。

     「…………ぁ」

     「お願いだ、早く。タクシー代と、これが飛行機の便。空港で発券できる」

    封筒を受け取った手も、細いその脚も、小刻みに震えている。
    口元すら震えて、両の瞳は所在無さげに泳ぎ回っていた。

     「蘭子ちゃん」

    肩に置かれた手は、彼女と同じように震えていた。


     「頼む。少しでも、早く」


    蘭子は駆け出した。
    着の身着のままで、おおよそ走るには向かないヒールで、ドアを叩き開けた。
    通りに飛び出す直前で何とか踏みとどまり、目に留まったタクシーへ転がり込む。

     「どち」

     「羽田空港までっ!!」

    蘭子の顔を見て頷くと、運転手はすぐに車を出した。

    150 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 09:29:08.16 ID:UxRZuveto

    跳ねる肩が落ち着いた頃、思い出したようにポケットをまさぐる。
    携帯電話を開いて、発信履歴からダイヤルを掛けた。

     『――もしもし、蘭子?』

     「ママっ!」

     『担当さんから聞いたわね。パパも熊本空港へ向かってるから、正面玄関で待ってて』

     「わ、分かったっ。その……おばあ、ちゃんは」

     『……』

     「ママ?」

     『……正直……あまり、良くないの』

     「……」

     『だから……蘭子も、いっぱい祈ってちょうだい』

     「……うん。いっぱい、いっぱいお祈りする」

     『そばで待ってるわ。また後で』

    無機質な電子音が耳を打って、逃げるように顔を上げた。
    渋谷から羽田への道のりが、今は絶望的な程に遠い。

     「…………」

    手が白くなるほど強く指を組んだ。
    目をつむって、歯を食いしばって。

    堕天使は、初めて本心から神へ祈った。

    151 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 09:45:16.23 ID:UxRZuveto

    空港へ到着し、搭乗手続きを済ませてからはただ待った。

    早く飛ばせ、お金なら幾らだって払う。

    そう泣き叫びたくて堪らなくて、蘭子は悔しさに顔を染めた。
    何度も何度も腕時計を確認し、それでも足りずに空港の時計を睨み付けた。
    あと十五分。あと十分。あと五分。



    搭乗ゲートが開く直前、ポケットの中が震えた。



    あれほど赤かった顔が、見る間に色を喪っていく。
    神崎蘭子は聡い娘で、それ故に事態を理解してしまった。
    この期に及んで尚、祈るような気持ちで携帯電話を取り出す。


    表示されていた名前は、母のものだった。


    152 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 09:49:29.04 ID:UxRZuveto



     『もしもし? あのね、蘭子。よく聞いてね――』



    153 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 09:51:06.78 ID:UxRZuveto


    ひどく現実感が薄い。


    病室にて両親と共に医師の説明を受けた。
    皺の刻まれた、もう笑う事の無い顔を眺めた。
    今日はゆっくり休めと、誰も彼もから優しく背を叩かれた。


     「くもまっかしゅっけつ」


    もう一度口に出して、それでも実感は湧いてこない。
    ただ喉だけが渇き、二本目のポカリスエットを空にした。

    外の空気は充分吸った。
    木陰のベンチから力無く立ち上がって、重い足取りを病室へと運ぶ。
    今は祖母に寄り添っていたかった。


     「――の娘を舐めるな」


    部屋の扉へ手を掛けた瞬間、父の静かな声が漏れ聞こえた。
    平坦な、けれど今まで聞いた事も無いような、厳しい声色だった。


     「君の肩で背負うようなものじゃない。娘は、覚悟していた筈だ」


    154 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 10:04:30.49 ID:UxRZuveto

    そう。蘭子は覚悟していた。
    熊本を、家族の元を離れ、厳しい世界に小さな身を投じ。
    その戦いの最中で、ふと頭を過ぎる事があった。

    もし、家族に何かあった時は。


    彼女は覚悟していて、その覚悟はまるで足りていなかったと、蘭子はようやく理解した。


     「娘は」

    静かに扉を開くと父は言葉を切った。
    腰掛けた丸椅子の前で、彼女のプロデューサーが床に額を伏せている。
    遅れて病室に足を踏み入れて以降、彼の頭は上がる事が無かった。

     「やめて」

    短くそう呟いて、蘭子はベッド脇の椅子へ腰を下ろす。
    一切の管が外された身体を慈しむように撫でた。

     「おばあちゃんが悲しむから」

    父は黙りこくって、母が彼の額を上げさせた。
    赤く染まった目元と額を久方の空気に晒して、ようやく面を上げる。
    そのまま静かに立ち上がると、黙礼だけを残して病室を出て行った。

    155 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 10:19:12.52 ID:UxRZuveto

     「蘭子」

    空調が部屋をかき回すだけの時間がしばらく続いて、父が口を開いた。
    温もりを探す手が動きを止め、蘭子の瞳はゆっくりと彼を捉える。

     「蘭子に、と預かった」

    差し出されたのは一通の封筒。
    薄く銀箔の散った欧風のそれは、深紅の蝋で封が閉じられていた。
    蘭子はその手紙に、どうしようもなく祖母の温度を思い出す。


    祖母はいつだって蘭子の事を考えていた。
    齢の差にして六十余年。
    感性も何も全く異なる時代を生きてきたが、祖母は歩み寄る努力を惜しまなかった。

    祖母の感性にはまるで響かぬ物であっても、蘭子が喜ぶだろうか考えた。
    転んで泣いた蘭子に、魔法の呪文を教えてくれた。
    遠く東京へ離れるに当たって、携帯電話の使い方を覚えた。


    目の前の封筒に、蘭子は楽しそうに考えを巡らす祖母の背を見た。


    156 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 10:39:46.33 ID:UxRZuveto


     「はぁっ……」


    太陽も中天を過ぎ、病院の屋上は束の間の温もりに包まれていた。
    数組の患者と看護師が居て、蘭子は彼らに小さく頭を下げる。

    懐から封筒を取り出す。
    彼女は、祖母を少しでも近くに感じたくて階段を昇った。


     『蘭子へ』


    祖母は毛筆を嗜んでいたが、宛名は万年筆で書かれている。
    封を切ると、中に入っていたのは二枚の便箋。
    蘭子にも読みやすいよう、丁寧な楷書が並んでいた。

     「…………」

    しばらくの間、目を閉じる。
    細く長く息をついて、ゆっくりと目蓋を開いた。

    157 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 11:01:16.45 ID:UxRZuveto


     蘭子へ


     お腹は空いていませんか
     食べるのを忘れていたら、まずは何か美味しい物を食べましょう


    158 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 11:01:54.82 ID:UxRZuveto

    その瞬間に不満を訴えだしたお腹に、蘭子は思わず笑いを零した。
    そういえば今日は時間が無くて、朝から何も食べていなかったのだ。
    空を見上げて頷くと、便箋を丁寧にしまって立ち上がる。


     「うん」


    先程よりもほんの少しだけ軽くなった足取りが病室を目指す。
    生きる為には、まず何よりも食べる事だ。



    少々の話を済ませ、再び屋上へ舞い戻れば、空は夕焼けの兆しを見せていた。
    吐く息は白く、両親に巻き付けられたコートとマフラーを直す。

    他に患者の姿も看護師の姿も無かった。
    直にこの場所も閉められるだろう。
    手袋を外し、封筒から便箋を取り出す。
    もうお腹は空いていなかった。

    159 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 11:34:34.50 ID:UxRZuveto


     蘭子へ


     お腹は空いていませんか
     食べるのを忘れていたら、まずは何か美味しい物を食べましょう

     まず蘭子に伝えたいのは、おばあちゃんは何にも悲しくないという事です
     蘭子と一緒に居られて、とってもとっても幸せでしたよ


     この手紙は、蘭子が東京へ行くと決めた日に書きました
     後で少し書き足すと思います

     何せ私も歳ですから、段々と元気が無くなってしまいました
     ひょっとしたら、蘭子と会えないまま死んでしまうかもしれません
     もしそうなっても蘭子が悲しまないように、この手紙をお父さんに預けておきます

     おばあちゃんは蘭子が悲しんでも嬉しいし、蘭子が悲しまなくても嬉しい
     つまり、蘭子はなぁんにも気にしなくて大丈夫だからね
     なんて書いたら、蘭子はとっても怒るかもしれませんね


    160 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 11:42:16.69 ID:UxRZuveto


     おばあちゃんは、蘭子が元気いっぱいに生きてくれるのが一番嬉しいです
     お父さんお母さんの言う事をよく聞いて
     お腹いっぱいご飯を食べて
     お友達をみんなみんな大切にして
     お勉強もちゃんとしなくちゃ駄目ですよ


     申し訳無いけれど、おばあちゃんは遠く離れてしまいます
     東京と熊本より、ずっとずっと遠くです
     私は耳も悪くしてしまいました
     だからおばあちゃんにも届くように
     元気に挨拶をして、いっぱい笑って過ごしてほしいです


     後は、何を書きましょうか
     そうですね、蘭子の事を書きましょう


    161 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 11:52:16.28 ID:UxRZuveto

    一枚目の便箋が終わった。
    そこかしこに散りばめられた『蘭子』の文字に、小さな両手が震えた。

    空が赤く染まり出す。

    162 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 12:05:01.85 ID:UxRZuveto


     蘭子がアイドルになると聞いて、おばあちゃんはとても嬉しかったです
     蘭子は自分でやりたい事を見つけて、自分の足で歩き始めました
     蘭子は私の自慢の孫です
     えらい!


     秘密と言われていたけど、こっそり書いておきます
     蘭子も内緒にしてね

     CDや写真を送ってくれるだけではなくて、担当さんが時々お家に来てくれました
     テレビでライブの録画を観せてくれて、色々なお話をしてくれました
     まだまだ体力は無いけれど、いつも一生懸命で、必ず凄いアイドルになる
     担当さんは、一曲が終わる度にそう蘭子を褒めていましたよ

     蘭子の歌も、何度も聴きました
     格好良くて、元気で、とても良い歌でした
     おばあちゃんのお友達にもたくさん自慢してしまいました
     いつか蘭子のライブにも遊びに行きたいけれど、おばあちゃんには難しいかしら


    163 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 12:11:29.77 ID:UxRZuveto


     シンデレラを目指しているそうですね
     おばあちゃんもシンデレラは大好きなお話です
     おじいちゃんとのお話は、蘭子とおばあちゃんだけの秘密ですよ

     シンデレラになりたいなら、うんと頑張らないといけません
     お料理も、お掃除も、お裁縫も、ちゃんとお母さんから教わるんですよ
     でも、実を言うと、おばあちゃんは全然心配していません
     だって、蘭子は世界一可愛い女の子ですから


     さて、そろそろおしまいにしようかと思います
     もしかしたら今、蘭子はとても悲しんでいるかもしれませんね

     けど、大丈夫
     蘭子は、とっておきの魔法の呪文を知っていますから
     これから先、もし悲しい事があったなら
     どうかみんなにも教えてあげてね


    165 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 13:29:16.23 ID:UxRZuveto


    手も、目も、喉も、心も、震えていないところが無かった。
    最期の別れを惜しむかのように、何度も。

    何度も何度も、何度も、何度も。


    最後に添えられた一文を、決して忘れないよう、胸へと刻み付ける。


    166 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 13:32:00.21 ID:UxRZuveto



     いたいの、いたいの、とんでけ     あなたのおばあちゃんより



    167 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 13:32:29.34 ID:UxRZuveto


    星が一粒、輝き始めた。


    168 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 13:40:51.69 ID:UxRZuveto

     【16歳 / 春】


    バースデーライブは恙なく終わろうとしていた。
    二度のアンコールを終え、舞台上の蘭子は肩で息を繰り返す。
    ステージライトに流れる汗が煌めいて、蘭子はゆっくりと息を整えた。


     『今宵の宴は、まだ終わらないわ』
     (もうちょっとだけ、付き合ってほしいの)


    すっかり終演だとばかり思っていたファン達から、小さく歓声が上がった。
    中々の広さを誇る会場をゆっくりと見渡し、何度も頷く。


     『そなたらの器を見込み、共に叶えん野望がある』
     (みんなにお願いがあるんです)


    蘭子の言葉に、ファン達は顔を見合わせた。


    169 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 13:55:29.74 ID:UxRZuveto


     「――だめ、かな」


    蘭子の話を一通り聞き終えて、彼は椅子を軋ませた。
    腕を組み、様々な考えを巡らせる。
    小さく息をつくと、再び蘭子へと向き直った。

     「出来るかどうかなら、別に問題は無いよ」

     「じゃあ」

     「みんなには、知らせるのかな」

     「……ううん」

    首を振り、笑顔を浮かべる。

     「ただ、みんなに笑ってほしいだけだから」

     「……そうか」

    マウスを操作し、ライブ関連のファイルを立ち上げる。
    キーボードの上で指を踊らせながら、彼も薄く笑顔を浮かべた。

     「時間は調整しておくよ。やるなら、思いっきりね」

     「魂の祝福を」
     (ありがとうっ)


    堕天使が微笑みを浮かべる。


    170 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 14:01:41.59 ID:UxRZuveto


     『――我が喚び声に共鳴を以て応じよ。汝の魂を解放せよ!』
     (私に合わせて、コールをしてほしいんです。おっきな声でっ!)


    マイクを握り、蘭子が会場中へ呼び掛ける。
    紅、蒼、紫。
    思い思いのサイリウムを振って、ファン達は応えた。


     『魔力は存分に高め終えたかっ!?』
     (準備はいいですかっ!?)

     『ウォォッ!』

     『ちっちゃぁぁーーいぃっ!!』


    蘭子が腕を振り回して跳ね、会場のボルテージが一段と上がる。


     『もっとーっ! 魔力をっ!!』

     『ウオォォォッッ!!』

     『まだだ、まだ足りぬっ!!』

     『ワァァァァッ!!!』

     『いざ! 応えよっ!!!』


    蘭子が、大きく息を吸った。


     『――いちたすいちはっ!!』


    171 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 14:11:00.45 ID:UxRZuveto

    ファン達が再び顔を見合わせて、会場が一瞬だけ静まり返った。
    蘭子がもう一度、魂を咆吼させる。


     『いちたす、いちはっ!!』

     『――にーーっ!!』


    集まったファンの誰も、彼女のコールの意味を知らない。
    ただ、蘭子は気持ちの良い笑顔を浮かべていて。
    会場を埋めるファン達の顔は、自然と楽しげな表情へと変わって。


     『魂の!』

     『赴くままに!』


     『煩わしい!』

     『太陽ね!』


     『闇にっ!!』

     『飲まれよっ!!』


     『光にっ!!』

     『包まれよっ!!』


    172 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 14:15:35.97 ID:UxRZuveto


    身体を反らせて、大きく大きく息を吸う。
    マイクを通じて、会場中に強い風切り音が響く。


     『いたいの、いたいのっ!!!』


    そして神崎蘭子は、生涯一番の大声で叫んだ。



     「――とんでけぇーーーっ!!!!!」



    遥か空の彼方にまで届きそうな、魂の響きだった。


    173 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 14:18:36.32 ID:UxRZuveto


    誰かが問う。
    アイドルとは何か、と。

    神崎蘭子はいつだって答える。
    みんなを笑顔に出来る人だ、と。


    174 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 14:20:10.25 ID:UxRZuveto
    一旦おしまい。

    「まずはご飯を食べよう」というのは、今でも大切にしている言葉です
    悲しい事があった時は、まずご飯を食べてみてほしい

    176 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 21:05:19.36 ID:2O/oRijeo
    乙です

    177 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/13(日) 21:05:56.50 ID:2O/oRijeo
    乙です

    179 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/15(火) 10:06:05.87 ID:/I92l5QxO

    泣ける

    180 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/18(金) 12:53:44.45 ID:rkOlI0lHO
    いいはなしだなぁ

    181 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/27(日) 22:55:23.23 ID:cbcuiso30
    年内に終わるんですかね(小声)


    182 : 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします : 2016/11/28(月) 13:00:38.39 ID:NA1ogEsQo
    もちろん(2017)年内に終わらせる気満々で進めています

    冗談はともかく、現時点で三分の一くらいですね
    二十四歳の春で終わります


    中編


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